凡フライ日記

山下翔と短歌

作品リスト(文章)

【2017年】
暗がりから外を見る時(『現代短歌』4月号、現代短歌社)
……第一歌集ノオト(書評)に関野裕之歌集『石榴を食らえ』評を書きました

【2016年】
バネとしての〈の〉(『やまなみ』2月号)
……阿波野巧也および『京大短歌』を中心に、助詞の〈の〉について書きました

【2013年】
「の」の連続にみる一首のもつ世界(『現代短歌新聞』4月号、現代短歌社)
……助詞の「の」を連ねる歌をいくつか挙げて、その方法について考えました

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小池光『思川の岸辺』を読む1

一日の過ぎゆくはやさ凝視して妻と二人あり十一月二十日
   小池光『思川の岸辺』(2015)

 巻頭の一首。「マゼラン」という題のついた連作から歌集は始まる、その一首目の歌である。表現としては「妻と二人あり」の「二人あり」にまずひっかかるのだが、上の句の状況も実はかんたんなものではないような気がして読み返してみた。
 一日の過ぎゆくはやさ、というのは基本的にはどんな日でも等しいわけだが、この日は特別はやく感じられた、と読みたいきもちを少しこらえて、〈一日の過ぎゆくはやさというもの〉くらいにとってみる。そういうもの一般を指している、と読んでみるのだ。もちろん、結句を見れば「十一月二十日」とあって、ああ、この日が何か特別な日で、だから、そんな日だからこそ一日の過ぎゆくはやさが速いんだろうなあ、と思ってみることもできる。わざわざ日付を指定しているから、なにかあるんだろうな、と。ここで、ついつい「特別はやく感じられる」とか「一日の過ぎゆくはやさが速いんだろうなあ」と書いてしまったけれど、はやさ、と言っているだけであって、それが大きいとか小さいとか、つまり速いとか遅いとか、そういうことは書かれていない。この人はただ、じっと見ている。たとえば〈一日の過ぎゆくはやさというもの〉は等しいはずなのにこんなふうに遅い日もあれば、昨日のように速い日もある、さて、どういうことだろう、というふうに。それもできるだけ考えずに、起こっていることを目でとらえようと集中している。どういうことだろう、とは思っていても、それをなにか理論をひっぱってきて考察する、というふうではないのだ。その「凝視する」ような視線そのままに妻と自分とが居る状況をとらえたときに、「妻と二人あり」という表現がうまれる。(この接近をあらわすのが助詞の「て」である。)さらにその視線は保たれながら今日という日の日付へと至り、結句、十一月二十日、とくくられている。そういう意味でこの一首は、どんなきっかけであったかはわからないが、ともかくまず誰か、〈一日の過ぎゆくはやさというもの〉を凝視する人がいて、その人がその視線を保ったままに現実世界に触れ、妻と二人ある状況をとらえ、十一月二十日という日付にただりついた、そういう一首であろうと思うのだ。

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阿波野巧也と山階基

阿波野巧也と山階基についてしばらく注目していて、いくつか書いたものがあるのでまとめておきたい。
と思っていろいろ見返してみると、山階さんについて書いた文章がほとんどないことに気づいた。これから書きます。

〔阿波野巧也〕
〈の〉について――阿波野巧也を読んで(2015.9.23)
「ぼく」が「ぼく」であることをめぐって――阿波野巧也と「ぼく」(2014.8.14)
「そうだよな」「微熱」「はいつも遅れて」(2014.6.1)
さかなのように(2013.6.26)

〔山階基〕
・1首評と返歌1首(ぺんぎんぱんつの紙「山階基トリビュート」)
・山階基の〈作る〉短歌(「やまなみ」2016.10月号・11月号)
山階基と〈もの〉のうた(2015.4.4)

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現代の歌人(昭和50年生まれ)

 新鋭短歌シリーズの第1弾3冊のひとつに『提案前夜』がある。仕事を詠った歌のなかでも、「食べ物」がからんでくる歌に、堀合昇平を感じる。

・カップ麺啜れば骨の芯までも痺れるだめだもっと喰いたい
・スパイシーチキンにしゃぶりつくまでの葛藤 帰り道は長くて
・焼鳥の串ほぐしつつ思い出すこころのもんだいのかわしかた
・冷えたゼリーに桃を掬えば知るだろうつまりはイメージの問題なんだ
・ポークフランク頬張りながら歩く坂道の途中でまた日が変わる

 ジャンクな食べ物の歌を引いた(ゼリーは違う、かな)。仕事上のあれやこれやがばたばたしてくると、どうしても生活が後回しになる。けれども食べることが、生活と仕事をつないでいる。

 同じく新鋭短歌シリーズから『やさしいぴあの』は嶋田さくらこの第1歌集。目映いほどの、1冊の世界に魅了される。

・魔法瓶に一晩泊まってゆくといい 銀色のお湯になれる幸福
・ぴあのぴあのいつもうれしい音がするようにわたしを鳴らしてほしい
・だんごむし 生きているのがつらかった時代もあった 丸まっている
・たのしいねたのしいねって誰かから奪うことしかできない愛だ
・居酒屋で注文をする役 君はビールをおいしそうに飲む役

 さみしいことを、ことさら悲観せずに提示してみせるのが上手い。そして必ず、そこに小さな「幸福」が貼りついていることを感じさせてくれる。

 生沼義朗は短歌人、[sai]所属。まだ歌集を読んだことがないので、『短歌』(KADOKAWA/2014.8)から2首引く。

・冷蔵庫に豆富半丁腐らせて妻に知られぬように捨てたり
・言葉が先かこころが先かわからぬに卵を黄身と白身に分ける

 さすがにこれだけでは何も言えないが、自分でもまだ整理のつかないようなことへの慎重な視線を感じる。ばっさり言ってしまわずに、言うこと自体をもおそれながら、でも、見えている、ということを切り捨てまいとする姿勢が見える。

 いま「念力家族」のドラマ化で話題の笹公人。歌集に『抒情の奇妙な冒険』がある。このタイトルからして何かありそうな感じがする。

・泣くもんか 砂場に半分埋もれてる科学特捜隊のヘルメット
・陽だまりの春の廊下でふりむけばタイム・リープの少女に逢える
・貸した辞書の隠語にマーカー塗られいてやぶれかぶれの夏の放課後
・ドンブリを呑むギャル曽根を見つめてる戦争孤児の無水の瞳
・白銀(しろがね)の霊界電話の受話器から鹿鳴館の華やぎ漏れる

 少し薄気味悪い、短調の世界を感じる。それぞれの歌に強烈なアイテムがあって、それは異世界のことのようなのだけれど、ときどき現実世界にも顔を出す、そこあたりを捉えているように思う。

 永田紅の子育ての歌が好きだ。自然な口語というか呼びかけが、歌のリズムをつくっている。

・眠いのに眠れず愚図る夕暮れをわかるよなあと転がしておく
・定員にくいこむことが人生のはじまりこんな零歳のいまから
・逆算をすればさびしくなりゆくをやぶらぬようにレタスの葉をむく
・話せないだけでいろんなことがもう分かっているのだよねえきみは
・クレヨンの絵や工作を持ちかえり我が家も子供の居る家になる

 1首目、『短歌』(KADOKAWA/2014.8)から。「わかるよなあ」というぼやき、「転がしておく」という動作に、自然な感じを受ける。2首目から4首目はいずれも『短歌研究』の連載から引いた。「こんな零歳のいまから」に河野裕子の口調を感じる。5首目は『歌壇』(2015.5)から。子供が居ればそれだけで「子供の居る家」であるはずだが、「子供が居ると、家の中がこんなふうになるよねえ」という「(いわゆる)子供の居る家」にだんだんなっていく、ということだろう。

 日常の静かな歌のなかに、さりげなく不気味な、暗い感じがただよっている、という印象をもった。後藤由紀恵の歌である。

・雨後の夜のあおき時間にだれを呼ぶ浜をゆきかう声の数々
     「百年先も」『朝日新聞(2013.6.11)夕刊』
・むらさきの輪ゴムかけられ閉店へ向けて値下げの続くコロッケ
     「夏の生活」『短歌』2013.10
・辿りつく岸のあらねば学生にまざりて食べる山菜うどん
     「れんげ咲く日」『短歌研究』2014.6
・襟元に襟章を留めてゆく生のおとうとの告ぐ春の転勤
     「春の転勤」『短歌』2014.6
・ちちははの庭に今年も咲くだろう椿の根方に埋めたてのひら
     (てのひらの歌・新作3首)『短歌研究』2015.4

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第9回 頭からかかる

 前回は、三句のオノマトペが上句・下句のそれぞれにかかって一首の詩情を豊かにしている例をみたが、もう少しラフな形のものを今回は二首とりあげる。

・近づいてくる近づいてくる神輿はるかなるあの夏の性愛
     小島なお「神輿」

 近づいて/くる 近づいて/くる 神輿、と定型の力学にそって読むのがいいように思う。近づいてくる、と同時に、何か強い衝動が「くる」、ということが強調されるようだ。
 お祭りの風景の一場面、「近づいてくる」神輿を見ながら、その勢いに「はるかなるあの夏の性愛」を思い起こしている。そしてそれもまた、「近づいて/くる」のだ。同じ作者に「噴水に乱反射する光あり性愛をまだ知らないわたし」という有名な歌があるので、そのことを思ってしまう。
 この歌については、以前にも九大短歌会のブログで触れたことがあって(あの夏)、似たようなことを書いている。
 そのときはおそらく、頭から二つのものへかかっていくやり方を、とくべつ意識してはいなかったと思うが、たとえば次の歌にも同じような構造がある。

・あざやかに季節は移り暗殺もやむなしといふ論の緻密さ
     大口玲子「寒気殺気」

 どういう論理でたどりついた結論なのか、「暗殺もやむなし」ということになってしまった。巧みに論を組み立てて常識をひっくりかえしてしまう手つき、そのあざやかさに困惑している。焦りを感じている。
 季節も、気づいたときにはすっかり移りかわっていて、もうもとへは戻れない。
 あざやかに季節が移り、すなわちそれだけの期間があり、そしてすっかり局面が変わってしまった。次の段階に、突入してしまった。もうやり直すことのできない議論、「暗殺もやむなし」という結果だけが残って、そうこうしているうちにたとえばことは実行され、そこからさらに展開していくだろう。

 二首ともに、スリルを感じた歌だった。

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