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4月の連作

2020年4月の諸誌紙から、気になる連作をピックアップします。(順不同)

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松本典子「ひとも街もこゑも」10首(「短歌往来」4月号)
特集「天変地異を詠む」から、昨年の台風の現場をうたった一連。〈にぎりかへす手のある老いからひとり抜けふたり抜け避難すらできぬ母〉、こういうときでも順番というものがどうしてもうまれてしまう。「長引く停電で器械による搾乳も加工もできず」という詞書のついた〈しぼつては棄てしぼつては白き乳を棄てそれでも救へなかつた牛たち〉もいかにもいたましい。平時というのが、さまざまな絡み合いとバランスのうえに成り立っているのだということがよくわかる。力のこもった文体は作者のものだが、現場をつたえてなまなましい一連である。


金澤和剛「一歳児」8首(「短歌往来」4月号)
なんとも不思議な作品群で、気をひかれてひといきに読んだ。二首目〈紙おむつ替えるときふと手と脚の数をかぞえる 四の倍数〉、「手と脚の数をかぞえる」時点でだいぶヤバいのに、そこから「四の倍数」にたどりつくのでいよいよ本物という感じがする。ふつう「ふと」は悪手とされることがおおいが、ここでは「ふと」にこそ真実みがあって、のけぞってしまう。〈ニュース速報のテロップ見送ってすまし顔でお風呂に入りましょう〉、この唐突のいざないにおののく。


田村元「ポトスライム」20首(「短歌研究」4月号)
一首目〈朝九時のオフィスグリコの百円を誰かが払ひ「ペイペイ」と鳴る〉につかまれる。「ペイペイ」と鳴る、ってまるで鳥みたいだ。鳥だったら「鳴く」だから、当然「鳴る」のは機器なのだが、ここに「ペイペイ」との距離感があらわれているようで面白い。デフォルメの面白さである。〈かばんの底に米つぶ一つ付いてをり四十二歳のわれの米つぶ〉も、「四十二歳のわれの」というピックアップの仕方に妙味がある。


花山周子「長生き 二〇二〇年一月〜二月」20首(「短歌研究」4月号)
花山さんはあるところから、独特の破調文体のようなものを得ていったような感じがあり、そこにごりごりと力のある文語がきしむように重なり、ある説得力がうまれているようにおもう。〈花山さん長生きしそうと言われしこと時々思い出す嫌だったので〉〈わが娘言いたくないこと言わずおり言えばいいのにとわれは思うも〉、いわゆる口語文語のミックスとはまるでおもえない。〈やりたくなさが全面的な夕暮れの手をついて机から立ち上がる〉、〈真顔〉ということをおもう。


篠弘「汗のたなぞこ」20首(「短歌研究」4月号)
一首目でまず「心不全」と話題をさしだされる。二首目〈朝ごとに己が体重計りきて減りつづくれば竦(すく)む思ひす〉の「竦む思ひす」にひやっとする。音韻的な効果もあるだろう。息の抜けるような弱さがある。〈いくたびも目薬を差し避けがたき終末としていかにしならむ〉〈つづけざまに老人逝けりくちびるの渇きやすかる寒明けの日々〉など、自然なうたいくちのなかに、生気のうすさのようなものがただよっている。


島田幸典「碑の蟻」30首(「短歌研究」4月号)
飛行機で電車でバスで、どこかへ出掛けている連作のおおい作者である。一首目〈岡山に聴きはじめたる「合唱」の人間の声は広島に聞く〉、地名の把握の仕方などから新幹線かとおもいながら読んだ。後半には飛行機も出てくる。道中、あるいはいった先での点々とした光景が精緻な文体でえがかれる。〈炒飯の残る一山に酢を回しレンゲに崩し搔きこみにけり〉の「酢を回し」の周到、〈機窓より見おろす阿蘇のゴルフ場立木に付きてうすき影伸ぶ〉の「機窓」「立木」の正確など。


山木礼子「朝」30首(「短歌研究」4月号)
〈泣きやまぬ子を抱いたまま階段の段を転がりおちてやらうか〉〈腫れた心がときをり汁を流すだろ 泣いて気がすむなら泣きなさい〉。そのときそのとき突発的に、あるいはなにか蓄積されながら、「子」と「わたし」が投げされるようにこの世に存在している。連載、連作のながれのなかで後ろから二首目〈とても年をとつた日の朝 ふたり子もすつかり年をとつてる朝に〉が、強烈な臨場感を出している。「とても年をとつた」のどこかつたない印象は、それがイメージできないくらい遠くのことに見えていることを示唆している。


大口玲子「自由」28首(角川「短歌」4月号)
昨年の「椿の夜に」にひきつづき、今年もこの28首連作にたちどまる。〈図書室登校ながく続けば「お母さんの給食も出せます」と言はれたり〉、そういうものなのか、とおどろきつつ読む。「学校」と「息子」、そのあいだの「わたし」をめぐる一連である。〈牧水賞二次会に来て「こち亀」を読み続けゐる息子を憎む〉。『ザベリオ』からさらに踏み込んだところで息子への眼差しがある。ひとつひとつの場面が鮮明である。


大松達知「毛茸」10首(角川「短歌」4月号)
語り口おおらかに、こまかなところをぽつぽつとうたう一連。うたが重なるごとに全体がわかっていく、というとどの連作もそうなのだが、この一連においてはまさにそのことを体感しながら読んだ。〈憂いことを離れて憂さは残りたり声の壊れる午後の教室〉、「憂い」と「憂さ」の差異をおもう。〈ふるさとはさつまいもにも薩摩にもあらねど飲めり飲めばふるさと〉、「さつまいも」「薩摩」の反復が、遠さゆえの「飲めば」の「ば」の強さをもたらすようだ。


染野太朗「稼ぎがよい」12首(角川「短歌」4月号)
一首の形に熱量がおよぶような一連である。〈きみをまへにことばはただの声になる大阪市在住四十二歳のこゑ〉、意味あっての「ことば」だが、そうではない、「ただの声」、動物的といってもちがう、「こゑ」になる。〈からめあふほどに引きのばされてゆく夜、冬の夜、怖れと舌と〉、直裁な表現が、一首のなかでじっさいからまりあいながら現場を伝えてきてとりこまれる。〈「美男子と煙草」を読めばかなしもよ「恐れいります。」も「たまらねえ。」も〉の切なさ。


野田光介「白いきのこ」12首(「現代短歌新聞」4月号)
自在な引用やある軽さに作風がある。たとえば一首目〈たくさんの白いきのこがどってこどってこ宮沢賢治をキンドルで読む〉、三句までが「どんぐりと山猫」をおもわせて宮沢賢治の序詞になっている。五首目〈向い風吹く野の道に妻と吾と帽子おさえてつくつく歩む〉、「帽子おさえて」に臨場感がある。さらに「つくつく」が心情やキャラクターをおもわせる。


吉川宏志「みなそこ、水面」15首(「うた新聞」4月号)
なにか示唆的な〈みなそこに泥さむざむと沈めども水面(みなも)は春のひかりをはじく〉という一首から始まる。「みなそこ」と「水面」との対比である。国敗れて山河あり、ではないけれど、一連で展開されるのは新型コロナウイルスをめぐる状況と、いまのこの春という季節についてである。大きなうたと小さなうたがいりじまじって印象的な一連である。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎『温泉』ご購入はこちらから。現代短歌社のオンラインショップです。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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