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1首鑑賞365/365

さびしさはしかたがないということの中にあるいてゆく烏骨鶏
   阿波野巧也「緑のベンチと三匹の犬

     *

連作の冒頭

父親とラッパの写真 父親は若くなりラッパを吹いている
プリンぐちゃぐちゃにぐちゃぐちゃにかき混ぜる 桜の過去のきみに会いたい

という2首が並んでその次のうたである。「父親」と「きみ」が、なんとなく想定としておもわれてくる。

いったんは、それを抜きにして読む。「さびしさはしかたがない」。さびしいという気持ちはどうしようもない。遣り場がない。そういうものとおもうしかない。そういうことの中に、眼前を烏骨鶏(うこっけい)があるいてゆく。烏=黒であり、皮膚、骨、内臓まで黒色のニワトリである。もっと抽象的な光景とおもってもいいが、前半の抽象からの流れるような展開をおもえば、この烏骨鶏は現在のものとおもわれる。

阿波野さんには上の句と下の句を〈の〉でつないで印象的なうたが多くある。

エロ漫画はじめて買った夏の日の、感情のどこまでがぼくだろう?
泣きぼくろみたいにひかる夕星(ゆうずつ)の、幼いころのぼくへの憎悪
洗濯が終わってひりひりする指の、みんないいひとだと思いたい
   「ジオラマ」「塔」2014.7

音楽にあふれて歩む鴨川の、ようやく気持ちが追いついてくる
   「cube」「京大短歌」20号

ストローを刺してあふれるヤクルトの、そうだよな怒りはいつも遅れて
コミックを開けばそこにある街のどうしてもぼくなんだねぼくは
   「シティトライアル」「miniature #3」

手元のメモから、時系列も連作における順序も気にせず引いた。といっても発表からいくぶん時間の経ったうたではある。具体と抽象、景と情をとりむすぶような〈の〉である。〈の〉で展開を保留しながら、具体的な手触りのあるものを引きずりおろしてきたり、あるいは〈の〉を踏み台にしてもっと遠くへいったりする。

掲出の1首は、「の」が「中に」かかっているので、ここに挙げた歌群の〈の〉とはまたちがった感触をもつものである。「の」が「の中に」と引き延ばされて、従来の〈の〉にあった負荷が分散されるというか、より自然に「烏骨鶏」の姿があらわれてくるようだ。そして「さびしさはしかたがない」という心持ちも、握られたまま心を離れないでいる。二物はぶつかりあわず、また離れてゆくことなく、こころと視野の入り交じるところを動き続ける。そしてしだいに遠ざかる。感情というものの感触を、たしかにつかみなおすような1首だ。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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