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1首鑑賞363/365

遠くの馬や飛行機雲に手を振りぬ人間はいつも柵のそとがわ
   立花開「外側にいる寂しき自由」

     *

角川「短歌」2020年1月号より。一連をとおして、線の太いうたが並ぶ。

ふたつ並べられた「馬」と「飛行機雲」には、しかし「遠さ」にいくぶん違いがある。柵の向こうの馬にはもちろん手が届かないが、飛行機雲にはもっともっと手が届かない。「馬」を通して「飛行機雲」がわかる、「飛行機雲」との間に置いて「馬」の「遠さ」がわかる。たんに「遠く」つながりで並列されたのではない、この構図に思考を促される。

柵のそとがわ、というのも眼前の柵がまずあって、そこからぐわっと広げられて、いちだん抽象的な「柵」である。「飛行機雲」を「人間」と隔てる「柵」とはなんだろうか。「柵」の内側の自由、というのはしばしば不自由のこととして語られるが、「柵」は内を囲いながら、同時に外を遮断するものでもある。「柵のそとがわ」の自由・不自由ということを考える。

手を振る、というのは「柵のそとがわ」にいてなにもできない「人間」が、自己慰撫のためにあるいはやるのかもしれない。「柵」をつくったのはそもそも人間なのである。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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