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1首鑑賞362/365

日向ぼこしている吾は体育の時間に見学する児のごとし
   野田光介「やまなみ」2020.1

     *

体育の時間、見学のものは体操座りでじっとしていたものだが、そのむかしのことが今に重なって映るようだ。「日向ぼこしている吾」はもう「児」ではないのが、こころもちは似通う「ごとし」であり、そうおもって遠くを見やるような眼差しは寂しげでもある。

子をふたりつくるが一般的なればふたりつくりぬさびしきものか
三年前旅に出たまま帰らない、みたいな人になりたかりしよ

おなじ1月号の作品から。「一般的」でやってきたけれど、それでよかったのか。「なりたかりしよ」にこもるのは、そういう自分をおもいながらも、そうではなかった自分をいたわるというか、肯定するような詠嘆のこころである。ユーモアが切なさを含むのは岩田正にしても小池光、あるいは小島ゆかりにしてもそうだが、読者のわたしはおおいに笑いながら、どこかでやはり物悲しいきもちになるのである。

「児」という字は、「子」と区別するときに「わが子」というニュアンスをふくみもつようにおもう。ここでの「児」はかつての自身ということだろう。時間としても場所としても遠いところを眺めながら、しかしこころでは直に接続するような、「吾」と「児」の邂逅がある。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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