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山川藍『いらっしゃい』(2018年)

1首1首に歌のポイントがわりあいはっきりあって、その部分を面白がることができた。ひとつ特徴をあげてみると、「もうひと押し」のあるうたというのがある。

火葬場へ向かう猫入りダンボール「糸こんにゃく」とあり声に出す

たとえばこのうた。四句目までは描写である。もともと「糸こんにゃく」が詰まっていたダンボールなのだろう。それがめぐりめぐっていま、猫が入っている。火葬場へ向かうのだから、その猫はもう生きていない。もっとほかの入れものはなかったのだろうか、とも思う。よりによって「糸こんにゃく」。でも一方で、猫とダンボールの親和性はそれなりにある。そのあたりをひっくるめてのある種のズレがあって、一首におかしみを生んでいる。しかし歌はそこでは終わらない。「声に出す」とある。「糸こんにゃく……」と読み上げているのだ。すると、このおかしみがいくらか増幅され、一方では声に出してしまうという別種のおかしみが生まれる。景色はよりくっきりとしたものになる。

     *

歌集には猫がよく出てくる。

一日に百グラムずつ軽くなり猫は金斗雲で飛んでいく
「天国に行くよ」と兄が猫に言う 無職は本当に黙ってて

一日に百グラムずつ軽くなり、という具体が(それが正確な数値であるかどうかは別にして、つまりは方法として)日に日に衰える猫のありさまを伝えている。軽くなり、(その結果)猫は「金斗雲で飛んでいく」とつづく。このユーモアがせつない。ここでは(その結果)というふうにおぎなって読んだけれど、その順接があまりにもスムーズに展開されていて、そのこともこの情感をひきたてている。助詞を省くことによる効果だろう。因果が強調されないことによって「当然」であることが補強される。金斗雲の速さは秒速6万キロメートルともいうから、本当にあっという間に遠くへいってしまうのだ。もう引き返せない。

その猫にむかって「天国に行くよ」とこちらもユーモアで応える兄である。しかし「わたし」は「無職は本当に黙ってて」ときびしく応じる。「天国に行くよ」には鍵括弧がついているので、この「無職は本当に黙ってて」は声には出されていないのだろう。ここで職についているかついていないかということが、「天国に行くよ」と言う資格につながる理屈はない。ないのだけれど、気持ちとしては「黙ってて」なのである。「本当に」がもうひと押しになっている。

さて、その兄である。兄の歌もいくらかある。

目が覚めてもうおしまいの夜半なれば無職の兄とゾンビ映画を
無職歴ベテランの兄新米のわたしと家の猫を取り合う

この歌でも「無職の」と付く。この無職であることへのこだわりは何だろうと思う。「もうおしまい」という意識は、「無職の」という視線で見てきた兄と同じ立場になってしまったことからくるのか。そんな単純なものではないようにも思う。この一冊のなかでは「無職」ということがなにかまばゆくも映されている。

働くということ、それにまつわるお金のこと、職場のこともひとつの話題になっている。

事務所まで戻れば四十円安い愛のスコール駅で飲み干す
非正規の人にも届くボーナスのお知らせだけでボーナスはない
自立しろと言われてあげたお年玉返してもらう父より五千円

「愛のスコール」というのはキャッチコピーである。飲み干すのは「スコール」なのだが、一首のなかにはあるニュアンスを込めてキャッチコピーをそのまますべりこませてある。(ちなみにスコールはデンマーク語で「乾杯」を意味するらしい。「飲み干す」ともおのずとひびき合う。)事務所まで戻れば四十円安い(のだけれど)駅で飲み干す。ここで「のだけれど」とは読者の思い込みだが、たんに思い込みと言って退けられるものでもないだろう。

ボーナスのお知らせのメール(か文書か)は一斉に送信され、ボーナスをもらう人にももらわない人にも届く。「非正規」という立場を思う。「無職」という眼差しもうっすらかさなってくる。ところでこの「ボーナスのお知らせだけでボーナスはない」の「だけで」で繋ぐやり方にはたじろいだ。プラスチックをぐにゃっと曲げたらパキッと割れた、みたいな衝撃がある。単にボーナスがないのではなく、「ボーナスのお知らせ」は来るのに、その対象でないためにボーナスはない、という状況がじかに伝わってくるようだ。

父にあげたお年玉。その五千円を返してもらう。お金にこまったのだろうか。自立というのは難しい。口では自立自立と言って、いっときはそれらしく生活できていても、その状態を維持するのは思いのほか困難がともなったりする。五千円という額も、大きくはないが小さくもない、リアリティのある額だとわたしには感じられた。少し無理してお年玉としたのかもしれない。あるいはそのときはこれくらいなら痛くないと思ったのかもしれない。状況は変わる。しかし無理をしてでも自立しなくては、「いつか」はいつまでたってもやってこない。

     *

気になる歌はたくさんあるのだが、それらの歌について何かを言おうとすると困ったり怯んだりするところがあって、思うように書けなかった。生活の、それもかなり実際のところが臆面もなくうたわれていて、うたについて言及しようと思えば、自分の生活をさらすことにもなるからだろうか。あと3首あげて終わりにする。

下ばかり見て帰り来しそのままに開ける冷蔵庫の野菜室
自転車を漕いでる風で泣けてくる映画一本見てへとへとだ
この家の前を人殺しが何度通っただろう 窓開けて寝る

下ばかり見て帰ったことが野菜室へ行き着くところまで書ききるし、「へとへとだ」「窓開けて寝る」まで言いきる。この「もうひと押し」に何も言えなくなってしまう。それこそ「黙ってて」と言われているみたいに。



*歌の引用はすべて歌集『いらっしゃい』(角川文化振興財団、2018年)に依ります。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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