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1首鑑賞344/365

体幹ゆはなれてふたつ足があり足は雲踏む吊り橋のうへ
   渡辺松男「赤鴉」「歌壇」2017.9

     *

体幹を鍛えるとか、体幹トレーニングとか、そういうことで「体幹」ということばを聞くようになって、なんとなく「体のコア」みたいなことをイメージしていたが、「体」の「幹」なので、やはり字のとおり「胴体」のことなのだとおもう。胴体はここにあるが、ここを離れて足だけが雲を踏んでいる、ということだ。まるきり空想とまでは言えないが、胴体はここにありながら足だけが向こうへいって……というのを想像しているわけである。雲を踏んでもふつうは落ちるはずで、やはりここも想像なのだが、雲のうえの足場のわるい感じ、それはちょうど「吊り橋」を渡る感触に近いのかもしれない。「吊り橋のうへ」ということばをたよりに、雲の踏み心地、というものを想像する。

どこまでも自在な意識とはちがって、「体幹」はここに残って動かない。そのことがつよく後にも残る一首である。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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