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1首鑑賞313/365

病院庭(には)の満開のさくら見てゐたり雨に濡れてゐる病院さくら
   小池光『梨の花』

     *

「病院庭」も「病院さくら」も造語だろう。茂吉の用いた「逆白波」をめぐるいろいろをおもったりもするが、それはともかく短歌のなかに造語を用いよう、という点では似たようなおもむきがある。意味は単純にして、病院の庭、病院のさくら。病院の庭にさくらの花が満開になっていて、それが雨に濡れているのを眺めているわけだ。町の川を「町川」、家の猫を「家猫」と呼んだりするのと同じで、病院にあるからこその情趣をこれらの語法から読み取ることができる。

病院庭、病院さくら、いずれがより一般的かと言われると、病院庭かなあとおもう。学校の庭は校庭であるから、あるところに所属する庭を、その所属先とあわせて呼ぶのはなじみがある。それで病院庭のさくらを見ていると、満開であるけれども雨に濡れていかにも病院のさくらという感じがしてくるのだ。病院庭にならって、病院さくらと呼んでみたくもなる。呼んでみると、そうとしか思えなくなってくる。一首はそんなふうに進行する。

しかしそもそも、病院の「庭」や「さくら」が独特、という読み方は、すでに「病院庭」「病院さくら」という語の術中にあるのではないか、といぶかしむ。病院の庭のさくら、とすればそれは景の描写だが、「病院庭」「病院さくら」は名前であって景ではない。いよいよ「庭」というもの、「さくら」というもの、そして「病院」ということが、存在感をもって迫ってくるようだ。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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