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1首鑑賞288/365

CMの母はやさしい 撮影のあとはお茶でも飲むのだらうね
   山木礼子「秘密

     *

怒るとき敬語になる人や場合がある。ここでも「飲むのだらうね」の「ね」にはそのニュアンスがこもる。「お茶でも」と言いながら、「飲むのだらう」と言うのだ。

CMに出てくる「母」というものを見ていれば、どの人もどの人もみな「やさしい」。しかし現実の母のわたしは、じっさいそんなに「やさしい」だけではいられない。というかほとんど、あんな「やさしい」はないかもしれない。連綿として母の時間がある。撮影が終わればそれきりの、CMの母とは違うのだ。日々の生活は否応なくつづき、そのかたわらにいつも子の存在があって休まらない。逃れらない。それなのに求められる。「やさしい」を「CMの母」を。

連作には

もし翅があつても飛べる空はない 網戸と窓はひらいてゐても

という一首がある。「翅があつても」「網戸と窓はひらいてゐても」そもそも飛べるような空がない、という絶望。撮影が終われば終わる母でなければ、そのあとにちょっとお茶でも、という調子のいいものでもない。嫌みや皮肉をこえて、無表情のひとの冷たい眼差しだけがのこるようだ。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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