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1首鑑賞286/365

潮風は吹くけど帰る場所がないここで生まれたという子アザラシ
   阿部圭吾「手のひらの海

     *

水族館をめぐる一連から。ひとつ前に、

車窓から本当の海を眺めつつ海に似ている場所へ向かった

といううたがあって、「海に似ている場所」としての「水族館」がおもわれている。「本当の海」から「潮風は吹くけど」、その風にうたれながら、そこに「帰る場所」をもたない「子アザラシ」。「ここ」=「水族館」=「海に似ている場所」で生まれ、育ち、しかし、ついに「本当の海」へ出ることはない。まして「帰る」ことはない。という眼差しがある。

いやいや「水族館」がこのアザラシにとっての「帰る場所」じゃないか、といったんはおもうのだが、しかしアザラシが「ここ」で生まれるということそのものの異常をおもいなおす。いや、それを「異常」とみなすことさえも、その「子アザラシ」にとっては、他者からの、勝手な解釈だろう。

連作の後半は、こういったわかりやすい対比から離れて、もうすこし抽象的な世界へ入っていく。「手のひらの海」というのは、「本当の海」「海に似ている場所」という構図からはなれたところにあるのだ。

それに照らして掲出の一首を読みかえせば、「帰る場所がない」というのは、「ここ」に生まれ「ここ」を離れたことがない、ということの言い換えであると気づく。「潮風」というのは、「ここ」ではないどこかをほのめかす。けれども「子アザラシ」はそれを、そうとはおもわないかもしれない。善し悪しでなく、「ここ」というところの閉鎖性、そして「帰る」ための「出る」必要性が、一首のなかにこもっている。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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