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1首鑑賞277/365

飼いたいと言う子に話す「お母さんに会えなくなったすずめのきもち」
   山本夏子「水の器」『半券』001

     *

子が拾ってきた「すずめの子」。家では飼えないのだろう。しかし、そう話したところで納得してもらえないとおもってか、掲出のように話す。よかれとおもって拾ってきたはずのすずめの子。子には子の理屈があったはずだ。道端で弱っていたすずめの子、飼いたい、よりも、かわいそう、が先にあったのかもしれない。けれどもおもいがけず「お母さんに会えなくなったすずめのきもち」という視点を与えられ、動けなくなってしまう。大変なことをしてしまった、と。自分もまだ子どもであり、お母さんという存在の大きさがわかるから、なおさら胸が痛むのだ。そうおもうとこの台詞は、やむを得ないとは言え、かなり残酷だ。子を徹底的に打ちのめす。しかし飼うことはできない。無理なものは無理である。残酷でも、見過ごすことしかできない、やり過ごすことしかできない、ということがあるのだ。聡明であることの残酷をおもう。痛みにまみれた一首である。
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拝読いたしました。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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