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1首鑑賞272/365

(つま)のきみ死にてゐし風呂に今宵入る六十年を越えて夫婦たりにし
   馬場あき子『あさげゆふげ』

     *

風呂場で亡くなっていた夫、岩田さん。その風呂に、「今宵入る」。おのずから、といふうにかかれているが並のことではないとおもう。「夫婦」というものが——形はいろいろあれど——わたしにはよくわからないので、そう感じるだけなのかもしれない。しかし「夫のきみ」の死というものが、この距離感にいたるまでにはやはり「六十年を越え」る歳月が必要だったのだろうともおもう。「夫婦たりにし」のひびきは重い。

月桃餅すこし残るをあたためて分かち食うべぬ最後の昼餉
亡き人はまこと無きなり新しき年は来るともまこと亡きなり
墓などに入れなくてよいといふであらう本質はさびしがりやだつたあなた
衛星のごとく互(かたみ)にありたるをきみ流星となりて飛びゆく

歌集には、こういう挽歌が並ぶ。あとになってわかるささやかな「最後の昼餉」。「あたためて」「分かち」に、岩田さんの体温がのこる。「まこと亡きなり」のリフレインがつらい。「新しき」と「亡き」「無き」の対比が率直であればあるほどせつなくなるのだ。「あなた」の「本質」にとどこうとする。あるいは「あなた」と言って呼びかける。もう二度とない二人の会話というものを、さかのぼって夢想する。「衛星」のごとく「夫婦たりにし」二人。「きみ流星となりて飛びゆく」が、消えてしまえばあっさりそれっきりの命というもののはかなさを、つきつけてくる。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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