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思うすなわち

そう思うことによってちがう見え方がうまれることがある。

疲弊していたれば歩くときに湧く浮力あり乱雑にわが浮く
   内山晶太
自分の力でお好み焼きを焼く朝の大切に思う自分のちから
   武田穂佳

それぞれ『現代短歌』『短歌研究』の3月号から引いた。1首目は「浮力あり」と思うことによって、それを前提にしてさらにもう一歩、「乱雑にわが浮く」という見え方がうまれている。2首目は「自分の力で」というのを意識しはじめることで、「自分のちから」という概念を得ている。

もう少しくわしく読んでみる。

2首目はお好み焼きを、店の人に焼いてもらうのではなくて「自分の力で」焼いている。そのときはまだ「自分のちから」というのは浮きあがってきていない。ところが「自分の力で」というのを意識することで、この「自分のちから」(ここでようやく概念になった)というのは大切だな、大切にしなくてはな、という気持ちがわいてくる。表記のちがいにもそれが表れている。1首目も同様で、疲弊しているときに歩いているとなんだか浮いている感じがする。それを「浮力あり」と思う。そういう視点でもういちど今の状況を見つめなおすとき、「乱雑に」という部分が見えてくる。

発見や把握の提示にとどまらず、さらにそれを起点にして歌が展開する。思うことによって、そこから、それを土台にすることによって世界の見え方がかわってくる。そのうえで、もういちど、それをつかみなおす。

山道をゆけばなつかし眞夏(まなつ)さへ冷(つめ)たき谷の道はなつかし
   斎藤茂吉『つゆじも』

「浮力あり」や「自分の力で」ほど斬新ではないけれど、この歌においてもまた、「なつかし」と思うことによって、その「なつかし」がさらに細かく描かれてゆく。まず「なつかし」と提示される。読者がそうであるのは当然だが、この歌においては〈私〉もまた「いまのこのなつかしいという気持ちはなんだろう。どこからきているのだろう。」という気持ちになる。そしてそれが三句以降に展開する。「なつかし」と思うことによって、「なつかし」が観測される。

おにぎりの厚さが短歌年鑑のやうだな米つぶの一つがわたし
   田村元

『現代短歌』4月号より。「おにぎりの厚さが短歌年鑑のやうだな」と思うことによって、すなわち「米つぶの一つがわたし」という見方が生まれている。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。歌集に『温泉』(2018年)がある。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はkyushu.sc.m.yamasho@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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