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1首鑑賞268/365

若くまづしく直き愛もつ歌なればこのままでよし誰か気づけよ
   馬場あき子『あさげゆふげ』

     *

歌の巧拙はさまざまあれど、それを「巧い」と言ったり「拙い」と言ったりすることはほんとうに難しい。なんとなく「巧い」「拙い」とおもったとき、ひとつにはそれがなぜか、がわからない。もうひとつは、それはほんとうに「巧い」のか、あるいは「拙い」のか、がわからなくなる。さらには「巧い」「拙い」という評価が、作者にどう影響するのか、がわからない。「巧い」ものを「巧い」と言って歌がつまらなくなる場合もある。逆にじっさい「拙い」歌であったとして、それを「拙い」ということが、作家をころしてしまうこともあるだろう。

掲出のうたでは、「若くまづしく直き愛もつ歌」が、どうやら「拙い」といって批判されているようである。しかし、たしかに「拙い」としても、ここにある「若くまづしく直き愛」がわからないのか。これがなくなってしまってはたとえ「巧い」歌が作れるようになったとしても、作家としてだめになってしまう。「このままでよし」と「誰か気づけよ」。「誰か」言えよ。と、そういうことだろう。「誰か気づけよ」に憤りと焦燥、あるいは呆然がにじむ。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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