FC2ブログ

1首鑑賞266/365

   
わたくしをうちがはから叩くひとがあり当たりとはづれの玉を吐き出す
   米川千嘉子『牡丹の伯母』

     *

詞書をどう表示しようかまよったが、この1首には「咳」という詞がついている。(もとは縦書きなので、印象にずれがあるとおもいますが。)1首全体が「咳」の比喩になっているのだと読んだ。

たとえば「咳」のオノマトペに「ゴホンゴホン」や「コンコン」があるが、それが「うちがはから叩く」のイメージにつながっている。胸が叩かれて、そこから「玉」(=咳)が吐き出されるのだ。この「玉」というのも、咳の固体っぽさを伝えていて納得する。

おもしろいのはその玉に「当たり」と「はづれ」があるところだろう。これによって、たんに状態を比喩で言い換えただけのうたにならず、おのずと咳-観というようなものがあらわれているようにおもう。しかし「当たり」「はづれ」とは何だろう。音の美醜か、スムーズな咳・むせるような咳の別か、あるいは「当たり」のときは咳とはならず、「はづれ」のときは咳となって出るということか。「叩く」「吐き出す」とあって苦しそうなのは確かだが、ある種のユーモアへ切り返している1首である。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR