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いま釣り鐘のように

大森さんの比喩の独特な感じになぐられることがある。角川「短歌」1月号のなかにこんな1首があった。

感情がいま釣り鐘のように重い 錆びながら、もっとかがやきながら
   大森静佳「虹」

この「釣り鐘のように」の生な感じ、グロテスクとまではいかないけれど、皮膚のいちばん薄いところで接してくる感じに冷や冷やする。それを一字空けののちの下の句では、さらに鮮明にこちらへ渡してくる。

頭から読んでみると、「いま」がこの比喩をささえていることがわかる。

感情というのは釣り鐘のように重い、と一般論のような言い方になると、その比喩についていける側とついていけない側の差がよりはっきりしてくる。ここに「いま」がはいることで、感情というのが「いつもかどうかはわからないけれど、ともかくいまは」「いまの〈わたし〉にとっては」釣り鐘のように重い、と状況がごく限定される。そうすると、「そういうこともあるのだろうなあ」くらいの気持ちで受け止めることができる。

   *

三句切れのうた。上の句で大きく述べて、下の句でイメージをこまかにしていくスタイルである。これは三句切れだから、というわけではなくて「初句切れ+α」「二句切れ+α」「四句切れ+α」という形もある。まず大状況を述べておいて(ここで読者をつかむ)、それから具体的な状況を書き込んで景を鮮明にしたり、あるいはイメージを転覆させて、さらなる状況を提示したりする方法だ。

いわゆるニ物衝突をAB型と呼ぶならば、これはAa型という感じだろうか。
(「の」を蝶番やバネのように使って「情」と「景」を結ぶやり方があるが、こちらはAA’型と呼べるだろう。)

このAa型には、1発目であえて反発心を生んでおいて、それを利用して2発目で一気に転覆するような作り方がある。掲出歌の場合はそれとはちがって、1発目では反発心は抑えながら、2発目でおしてくるタイプだ。ただ、「釣り鐘のように重い」といったときに「釣り鐘」の「重さ」をたよりに感情の「重さ」をおしはかるのだが、下の句では「重さ」ではなくて釣り鐘の見た目、質感のようなところが述べられる。そういう意味では単なる塗り重ねではなく、実はスライドがあるのであって、転覆と言えなくもない。このあたりはさらに細分化できそうなので、Aa型のなかのバリエーションはもっと整理が必要だ。

さらに、「錆びながら」で時間の経過を思わせながら、その流れに逆行するかのように「もっとかがやきながら」と歌われる。aの中にさらにBbが潜んでいる構造だ。逆行、と書いてしまったが、「錆びる、すなわち、もっとかがやく」という筋もあるだろう。順接でなくても、「錆びながら、(しかし、逆に、そのことによって)もっとかがやきながら」という受け取り方も出てくる。

であるから当然、はいこのうたはAa型ですね、と片付けるわけにはいかない。

   *

さらに今回は空白や読点によって接続されている点、あるいは「いま」「もっと」のはたらきも関わってくる。結句の「ながら」の次の「ながら」を思ってしまう。



*歌の引用は『短歌』2018年1月号(角川文化振興財団、2018年)に依ります。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。歌集に『温泉』(2018年)がある。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はkyushu.sc.m.yamasho@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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