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1首鑑賞226/365

やり直し、やりなほしできる生ならば 継ぎ目のあらぬ今日の青空
   栗木京子『ランプの精』

     *

人生にはやり直しというものがない。あのときこうだったら、という夢想はいつまでも頭のなかにだけあるのであって、それが実現することはついにない。それにあのときこうだったら、と思えるのはそうでなかったいまの地点からであり、ということは、現に「あのときこうだった」としても、いまの自分がおもうところへたどりついたかどうか、おそらくそうはならないだろう。結局また、「あのときこうだったら」と思うだけである。

しかし、それにしても、それにしても「やり直し、やりなほしできる生ならば」とおもう。噫。継ぎ目のない青空、まっさらでどこが始まりか終わりか定まらない。「やり直し」をおもう眼差しが、青空に「継ぎ目」を探そうとする。ない、ということがまざまざと突きつけられる。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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