FC2ブログ

日記

山階基トリビュート作品集『湯舟に乗れ!』が届いた。去年注文していたものだが、贈り物のようでうれしい。文庫サイズでコンパクトだけれど、中を開いてみると小説や詩歌のみならず、写真や絵や音楽との織り合わせまであって一度には読み切れないなあ、と思う。少しずつ開いて楽しみたい。

     *

山階さんの歌との出会いはいつなんだろうなあ。『早稲田短歌』に載っていたころに読み始めて、それから総合誌や「あるきだす言葉たち」をたどっていった感じだった。わりあい熱心に、読めるものはなんでも読もうと思って探してきたけれど、今回のこの作品集を読んで、はじめて出会う歌がいくつもあった。あるいは、知っていた歌でもまたちがった歌の世界が開けてくるようで、短歌の味わい方のバリエーションはまだまだ開発途上なのだなあとも思う。(※)

かつて小池光が、歌を〈作る〉ことについて第1歌集『バルサの翼』のあとがきに書いている。いま手元にその実物がないので参照できないのだが、少年のころにバルサ材で作っていた飛行機の話をかたわらに、歌を〈作る〉意思について書いていたと記憶する。その〈作る〉意識がおそらく山階さんにもあって、山階さんの短歌は精緻な木工細工のようで、すごくいとおしい。すべすべしていて、皮膚がよろこぶ感じがある。

今年はもう少しいろんな批評にあたりながら、山階さんの歌について考えていきたいなあと思う。

     *

近頃また、角川『短歌』1月号の藪内さんの時評と、『短歌研究』1月号の吉岡さんの時評を交互に読んでいる。もうちょっと読みながら考えたい。

     *

と思いながら、花山周子さんが『塔』に書いている時評を読んだ。『塔』12月号に掲載もので、ネットでも読めるのがうれしい。(「現代短歌という場所に露呈するもの」

ついさっき(※)のところで「短歌の味わい方のバリエーション」と書いたけれど、それはもしかしたら解釈や批評のバリエーションでもあるのかなあ、と思い直した。言葉にするから、ひとつの批評のフォーマットにのってしまう。そこを脱する方法でもあるのか、と思ったのだ。

それで、ますますとりとめもなくなるのを我慢していただくことにして、歌会に出始めたばかりの頃のことを思い返したい。

     *

いや、歌会に出るよりも先に、歌会を開いていたのだった。見よう見まねでさえない、歌をもって集まってそれを読み合う会なんだろうなあ、くらいの気持ちでなんとなく歌会を始めたのだった。中学高校の国語の授業がひとつ念頭にあったと言えばあった。しかし、それは歌の「表現技巧」や「鑑賞」について授業ではやってたなあ、くらいの記憶で、なにかモデルになるような進行の仕方や中身があったわけではない。

それから、実際に(という言い方も変だけれど、)いわゆる「歌会」にもいくつか参加するようになった。そこで短歌を読むための方法であったり、批評のことばを得ていった。はじめの頃は突飛な(?)読みをして、それはないだろ、と言われることも結構あった。しかしふしぎと回を重ねるごとに、そう言われることは減っていった。そしてその「読みの方法」を実践し、「批評のことば」を使えるようになっていくにつれて、歌が「読めない」と思うことが減っていった。いや、正確にはいったん増えて、それからだんだん減っていった。(フォームチェンジってそういうものだから。)で、それは今ある読みのスタイルのひとつの典型に慣れただけだったんだなあ、と思う。

     *

去年の『現代短歌』だったかな、内山晶太さんが「歌会の罠」という時評を書いていて、その話のことも思い出されるし、あるいは吉岡太朗さんの「紙芝居歌会」「何もしない歌会」という実践も思い返される。

山階基トリビュートという〈場〉が、思いがけず短歌を「読む」ということについていろいろ思わせてくれた。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR