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1首鑑賞201/365

大根で撲殺してやると思ひたち大根買つてきて煮てゐたり
   藪内亮輔『海蛇と珊瑚』

     *

大根で撲殺しようとはおもう。それなりに痛いらしい。ただ、撲殺しようと思って買いにいくところまではなかなかしない。少なくともわたしにはその経験がない。思い立って買いにいくまでながく、殺意が継続したということだろう。けれども買ってきた大根は煮ている。そこに毒でも混ぜて鰤大根なりおでんなり作って食わせれば、結果、殺すことはできる。しかし撲殺にはならない。殺さずに済んだのだろう。

それにしてもなぜ大根。とっさに殺意がわき、たまたま手近なところに大根があり、撲殺できそうだと思い手にとる、というのならわかる。あるいはほんのジョークで大根を振りかざす、という光景もただちに思い浮かべることができる。けれどもまず「撲殺」でなくてはならず、そしてそのための道具は「大根」でなければならぬ、という状況になってくると、それは真の殺意とも、また、偽の殺意とも言いがたい、つまり殺意とはちがったものではないだろうか、とおもわれてくる。

そうすると、撲殺のために大根が選ばれたのではない、ということになる。「大根で撲殺」というひとつの光景がひらめく。その光景をもとめて、大根を買いにいったのではないか。まずはじめに殺意や殺意をむける相手があったわけではなく、はじめに、ただひとつの「大根で撲殺」という光景、状況があった。それで、大根を買いにいった。けれども現実には相手も動機もなく、またそれらが仮にあったとしても別のもっとよいやり方やタイミングがあり、そうすると手元の大根は煮るなり焼くなりして食べることになる。じっさい、大根は煮られている。

だからといってこのうたが、ほんのジョークだとは全くおもわない。ここではないところで、このひとのなかに明確な殺意や、動機や、相手があるという予感をぬぐいきれない。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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