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1首鑑賞173/365

やあと手を握つて旧交あたたむる友なしわれは九十二歳
   岩田正『柿生坂』

     *

先日ベローチェでひとを待っていたら、どうも同窓会の二次会らしき会が始まって「6組は死んだもん(者)が多い」と聞こえてきた。同窓会に参加できるひとがだんだん減っていく話は聞いて知っていたが、こういう空気感というかノリまではわからなかったので新鮮だった。

この一首においても、「友なし」というときそれほど悲嘆のおもいはないのかもしれない。ただ、ユーモアへきりかえすうたの多い岩田さんのことだから、結句の「われは九十二歳」を読むと、やはり切ない哀しいうたなのではないか、ともおもう。「やあと手を握つて」という具体的な場面があるために、なおさら心情がせまってくる。

朝あさの目薬まつすぐさせぬままわれは終らむこころ残して

こころ残りということばがあるが、「こころ残して」と能動態で書かれるところに終へのおもいがにじむ。それだけのこと、と言ってしまえそうなことにさえ、「われは九十二歳」と言い、「終らむ」と言って死を見つめるとき、残心は存在感をもって湧いてくる。

敷石を踏みて去りゆく友の音消えてはかなしひとりの音は

友と会いえてその友を送るとき、しだいに消えていくその音に残心がふくらんでいく。そこにはおのずから、やがて消えてしまう「ひとりの音」を見つめる眼差しもふくまれてくる。

「朝あさの目薬」をかつてはまっすぐさせていたのだろう。はじめの一首の具体的な「旧交をあたたむる」場面も、かつてあって今ないもののように映る。残心を見つめつづけるしかない「九十二歳」という齢と、その齢にあってなお明晰であることの切なさがおもわれてくる。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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