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1首鑑賞154/365

尾で水面(みなも)叩くトンボはもう来ない少年われの池は滅びて
   岩田正『柿生坂』

     *

かつてトンボ捕りをして遊んでいた池がなくなってしまった。「尾で水面叩くトンボ」が臨場感をさそう。連作ではひとつ前に

トンボトンボ指でくるくるヤンマの眼まはせば酔ひてわれにつかまる

という現在形のうたがある。少年の日はもう還らない。その少年の日を思い返して鮮明なうたが歌集のなかにはいくつもあった。

母の炊くごはん黙つていただけどうまきことなし少年われに
若きころの自称美人の母の写真鴨居にありしが不用と気づく

「うまきことなし」「自称美人」「不用と気づく」と率直、端的にうたう。「少年われ」や(母の)「若きころ」との隔たりがそうさせるのだろうか。「いただく」と「うまきことなし」が両立する。「自称美人の母の写真」と「不用と気づく」が両立する。断言というのは、ときに寂しくもあるなあ。

はじめの1首に戻る。「少年われの池」というふうに、まるで自分の所有物であるかのごとくに「池」を言う。気持ちとしては、「少年われが遊びし池」ではないのだ。「われ」と「池」との近接をおもう。もうほとんど一体化している。それが「池は滅びて」である。「池」がなくなってしまって、トンボももう来ない、「われ」ももういない。この唐突の反転にひきつけられる。「われ」の「滅び」をも思わせてかなしみ深い1首である。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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