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1首鑑賞153/365

足病んで冬をこもれば切実に夕陽を見たし夕陽浴びたし
   岩田正『柿生坂』

     *

自分の足で歩けなくなったらおしまい、と言ったのは高校の教頭だったが、そのときはだからスクワットをやれ、という話だった。さすがに「おしまい」とまでは思わないが、言わんとすることにはわかる部分もある。それが「足病んで冬をこもれば」というところにひとつ現れている。「足病んで」出歩くことがかなわない、あるいは億劫になる。それで室内にこもっている。だんだん元気がなくなってくる。だからこそ「切実に夕陽を見たし」が出てくるのだとおもう。

下の句のリフレインに注目する。「夕陽を見たし」というときには「を」が入るために「見たし」まで距離があるが、「夕陽浴びたし」の方にはその隙間がない。「夕陽を見たし」すなわち「夕陽浴びたし」という感じだ。「見たし」と口にしたことによって、そこから流れるように「浴びたし」が導かれるごとくである。その「見たし」→「浴びたし」の性急が、「切実に」を補強している。「夕陽浴びたし夕陽を見たし」ではそうはならない。どこか決着したような感触が残ってしまう。「夕陽を見たし夕陽浴びたし」の衝動をおもう。

おなじ歌集のなかには、ほかにも夕陽を詠んで印象的なうたがある。2首引いておわりにする。

梅雨どきの家のはざまの夕茜われにとどけり瞬時なれども
秋は帰路雲の茜を身に浴びてつれだち歩む去りし友らと
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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