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1首鑑賞138/365

小学校修身に習ひし矢のごとき光陰がわが膝をすぎゆく
   橋本喜典『聖木立』

     *

小学校の「修身」の時間に「光陰矢のごとし」ということばと、それをあらわすようなエピソードとをを説いて聞かされたのだろう。当時はどう受け止めたか。それからの歳月を思い返し、今まさに「矢のごとし」であったという実感をもつ。その矢(のような時間)が、このとき、膝をかすめてすぎゆくというところに、生々しく時間というものが思われてくる。当然、寿命ということも、自覚されていよう。

さうなのか自分の生きてきたこれが人生といふものだつたのか

同じ『聖木立』から引いた。素朴なうたい口である。「人生」「人生」と口には言って、また、耳では聞いてきたけれど、実感をもって「これが人生といふものだつたのか」と思うには、それ相応の歳月を必要とする(ということも、わたしには当然「実感をもって」わかるわけではないのだが、このうたには、そういう気分がこもっているとおもう)。

「歳月」や「人生」という大きなものを、このように真っ直ぐ、大きいままにうたわれて、かつ、説得させられる。

人生に実感といふは尽くるなし麻痺せる足の土踏まず白し

もう1首引く。前の2首と比較して、より「実感」のほうにあるうたである。白くある土踏まずをしげしげと見るその眼差しが、「人生」というものをも捉える。

はじめのうたに戻る。2首目ほどには呟きに寄らず、また、3首目ほどには身体に寄らず、そのバランスを結句「膝をすぎゆく」がとっている。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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