FC2ブログ

1首鑑賞118/365

早さではなくて想いがほしいのだが 欲とは初夏の水に似ている
   染野太朗『人魚』

     *

早さではなくて想いがほしいのだが、という時に、「早さ」とは「想い」の形である。けれども、「想い」を表すところの「早さ」ではなく、じかに、「想い」がほしいと言う。そういう迂遠はいらない、直接「想い」をくれ、と言っている。どんな「想い」も直接にはとどかないだろうが、「早さ」よりはいくぶん直接に近いたとえば「ことば」で、伝えてくれ、ということかもしれない。「早さ」は態度だが、そうではなくてもっと率直に、「ことば」で欲しい。あるいはもっと、直接的な態度もあるだろう。いずれにしても、「想い」があるならば、いかにもわたしにわかるような形で伝えて欲しい。「早さ」ではわたしに遠い。そういう「欲」を、上の句から考える。

ほしい、ほしいのだが、とうたはつづく。この「だが」は、そうはいかないと嘆くためのものではない。のだが……、この「欲しい」という気持ちは「初夏の水に似ている」と、すこし位置をずらしたところから述べるための「だが」である。いましがた「早さではなくて想いがほしい」と言った自分のほうを振り向いて、「欲とは初夏の水に似ている」と語りかける主体がいる。そのずらしの印として、「だが」と一字空けが差し挟まれている。

初夏の水、というものを考えるときに、たとえば春の水や夏の水を想像してみる。手に触れるものとしての水、喉をとおすものとしての水、川の水、海の水を思ってみる。まだ手には冷たい水か、喉をとおしてここちよい水か、そういうすごく曖昧なものである。そのときそのときで簡単にかわってしまう。自分の「欲」って、それは確かなものであるはずなのに、あんまりあてにならないなあ、とおもう。振り向いて自らに発したこのことばが、「欲」をいっそう強めることにもなりそうだし、一方で、みずからを諌めることにもなりそうだ。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR