FC2ブログ

1首鑑賞106/365

のどぼとけわれにもあるか怒りたるのちのかなしみに唾をのむとき
   花山周子『林立』

     *

のどぼとけそれ自体は皆がもつものだから、「われにもあるか」という投げかけには、「あるかないか」そのものを問うというのではなく、「いかにもある」という感じはしないけれど「やっぱりあるんだよな」と確認するような意味がこもっているようにおもう。

怒りそのものはながく続かないというが、それがやがて別の感情に推移していって、たとえばかなしみにうつろいゆくときに、ぐ、っと唾をのみこむそのとき、のどぼとけを通過する。のどぼとけが、何かを受け止めるのかもしれないし、うまく引っかかりを残すのかもしれないし、弾みをつけたり、わたしに「のむ」ということを意識させたりするのかもしれない。ただ単に感情がかわってゆくのではなく、そこに痼りのようなものを残していく。そういうものが、わたしにはあるか、ということを問うているようにもうつる。物としての「のどぼとけ」を通過しながら、「のどぼとけというもの」がもつある機能のようなものに意識が向いているのではないだろうか。
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR