凡フライ日記

山下翔と短歌

阿波野巧也「緑のベンチと三匹の犬」を読む2

 ひきつづき、阿波野巧也の「緑のベンチと三匹の犬」を読んでいく。
 前回は冒頭の一首を読んだだけで終わってしまったのだった。

プリンぐちゃぐちゃにぐちゃぐちゃにかき混ぜる 桜の過去のきみに会いたい

 これはどう読んだらいいのだろうか。
 プリンぐちゃぐちゃに/ぐちゃぐちゃにかき混ぜる、と2つのかたまりに分けて上の句を読んでみる。というのも、プリンぐちゃ/ぐちゃに、とやってしまうと「に」がどうもプリンと離れすぎて変な感じがする。五七五で切っていくのがなんだか野暮におもわれるのだ。
 プリン(を)ぐちゃぐちゃにかき混ぜる、という内容なのだけれど、ぐちゃぐちゃに、ぐちゃぐちゃに、と重ねられていて、ぐいぐい押してくる。すごい食べ方だけれど、(いや、食べないのかな。だれかに食べさせるとか、なにかの料理の隠し味として使うとか、もう食べらんなくなってぐちゃぐちゃしているとか、いろいろあるけど、)おいしくなるのかもしれない。習慣としてそうしているのか。「きみ」に教わったのかもしれない。
 食べもの、への向き合い方、というより、食べものとの付き合い方、ってすごくその人が出るし、そこには蓄積もあるわけだけれど、習慣、というのはまさにその人の自然なのであって、その一場面として上の句を読むことができる。そこを、五七五をくずしながらやっている。

   *

 一字空いて下の句。こちらは「桜の過去の/きみに会いたい」とシンプルに攻めてくる。いや、言い回しはちっともシンプルじゃないけれど、作りとしては。
 そうすると、上の句の「衝動」から下の句の「冷静」をみる、みたいな読みも出てくるわけだが、さっきは上の句のそれを「習慣」と呼んだので、そことはちょっとちがってくる。でも、いきなり、衝動的にプリンぐちゃぐちゃにするかなあ。(してもいいんだけど。)
 もう少し五七五に寄せると、プリンぐちゃぐちゃに/ぐちゃぐちゃに/かき混ぜる、と3つに分けて読むこともできる。すこし冷静な感じだ。丁寧にかき混ぜている。

   *

 プリンをぐちゃぐちゃにかき混ぜる、というのは習慣としてあるのだけれど、いまこのとき、その動作は意識され、より丁寧に行われている。で、その丁寧にあって、「桜の過去のきみに会いたい」が導き出されるのだ。
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