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1首鑑賞83/365

熱という触れられなさよこれが湯であるなら焦がすまでを見つめる
   石井大成「湯を焦がす」『空箱(からばこ)』vol.2

     *

「湯を焦がす」一連は、非常にことばの詰まった作品である。つまり意味が詰まっていて、それはおおく比喩の形をとっていて、1首1首に立ち止まりながら読むことになる。比喩が比喩をこえて、どこか遠くにいくような感じはあまりなく、比喩のシールを剝がせばそこに生活や感情や光景があらかじめあるような、そういう印象をまずもった。「天災」「緩慢」「重複」といった種類の語彙による詰まり感も特徴のひとつだろう。連作そのものは、ストーリーや時系列に沿って展開するタイプではなく、ことば同士の連関を基本に進行しながら、ある大きな枠組みによって統一されている。たとえば6首目と29首目に「コント師」のうたがあり、12首目も直には言われていないがコントの場面が浮かぶ。これはひとつのラインで、こういうものがもう2、3本通っている感じがする。一方で「おまえマジかみたいな」「つらくないすか」「ならこれも気持ちなのかよ」「積み重ねなんよなあ」という付属語の使い方や、述べ方が「詰まる」とは逆の方向に展開されていて、一連を単調なものにとどめない(複雑だから良い、ということを言いたいわけではない)。

と、1首鑑賞といいつつ連作のことを書いたのは、1首1首のことよりも、構成された連作、という印象のほうが前面にきてしまったからである。掲出のうたは表題歌である。「湯」というものが、「コント」と同じように、この筏のような連作のひとつの縄になっている。「熱」というのは概念だから、触れようとおもって触れられるものではない。この人のなかでは結論が出ている。出ているけれども、その感触をもう少し核心ちかくで受けたい、というこころか、それを比喩によって掴みなおそうとする。その営為そのものが、まずこの1首にはあらわれている。焦げる、というのは有機物に対することばで、「湯」そのものは焦げることがない(とおもう)。「湯」を「焦がすまでを見つめる」ことの途方もなさは、おのずと、触れられない「熱」というものへの距離感をおもわせる。「湯が焦げる」ではなく、「湯を焦がす」という立ち位置のとり方は、連作全体におよぶ。象徴的な1首だ。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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