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1首鑑賞52/365

弱音はかぬ息子の弱音が見え過ぎて黒きコーラをまた注いでやる
   前田康子「博徒のような」『現代短歌』2019.3月号

     *

弱音をはかない息子。その息子が、からだいっぱいに弱音を溜めている。吐かないけれど、その分、充満していて、それがいかにも、それはもう見えすぎるほどに見える。なにか痛々しい光景だ。弱音を吐くまいと決めて、吐かないのだろうとおもう。その思惑とは裏腹に、隠そうとおもって溜め込めば溜め込むほど、弱音が見えてしまう。

その見え過ぎている弱音を、あるいは見え過ぎているということそのことを、指摘するでもなく、コーラを注いでやる。コーラはだいたい黒いもの(でも、ふだん黒いとはおもわないな……)だが、あえて「黒き」と形容されている。溜まった弱音の黒々とした感じとかさなって映る。「また」とあるので、もう何回も、注いでいるのだろう。追及するでもなく、指摘するでもなく、ただ、相手になってコーラを注ぐ。それくらいしかできない、ということだ。つらいなあ。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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