凡フライ日記

山下翔と短歌

第8回 三句でつなぐ

・火に炙る魚うらがへしじぷじぷと西日があたる背中が暑し
     小島ゆかり『憂春』

 夕食のしたくだろうか、厨にたつ人の姿が見える。三句の<じぷじぷと>が、調理すれる側・する側の双方にかかっている。つまり、魚をうらがえしたところ、よく焼けて表面がじぷじぷと音を立てている。油がはねているかもしれない。一方で、そうやって調理しているわたしの背中にも西日があたっていて、全く魚と同じようだ、という場面なのだ。
 わたしの背中が<じぷじぷと>というのは少し大げさに感じるかもしれないが、そのくらいのほうが、面白みがあっていい塩梅になっている。

・てのひらにてのひらをおくほつほつと小さなほのおともれば眠る
     東直子『春原さんのリコーダー』
・ちよつと潤んだ夏の月出てまるまると太つた赤子抱いて出る母
     馬場あき子『あかゑあをゑ』

 同じように、三句目に<ほつほつと><まるまると>というオノマトペがあって、それが上の句・下の句のどちらにもかかっている。
 一首目、「てのひらにてのひらをおく」その感じをほつほつと、と言っている。やさしい手の置き方だ。そして手と手を重ねたことによって生まれる「小さなほのお」、その灯るさまもまた、ほつほつと、なのだ。二人に、静かな夜の時間が流れている。
 二首目、大きな夏の月、ちょっと潤んでいて艶がある。それを大胆に、まるまると、と述べながら、それが「太つた赤子」にかかっていく。そこまで読んでみて初句にかえると、「ちよつと潤んだ」が赤子にも母にもそれを眺めているひとにも、あるいは夏の、そこの風景そのものにもかかっているようにみえる。

・死後生殖、の果てに広がるびらびらの浜昼顔へ細き雨ふる
     大森静佳「顔を産む」

 初出は『短歌研究』2014年8月号。同じ一連に、「羊水はこの世かこの世の外なのか月の臭いがひどく酸っぱい」という歌があって、先に挙げた馬場の歌と重なる。
 死後生殖、の果てに広がるものは何だろうか、よくわからないけれどこう、びらびらとした襞のようなイメージがあって、それをつかもうとしている姿が浮かんでくる。そこから一転、<びらびらの>はごく自然に「浜昼顔」へかかって、風景は現実にひきもどされる。
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