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1首鑑賞49/365

夕映えはいつも後ろに手を振るがその貌をまだ見たことがない
   飯田彩乃『リヴァーサイド』

     *

夕映えはいつも後ろに手を振るが、「が」、というふうに、まず当然のごとく「夕映えはいつも後ろに手を振る」というのが示される。それそのものが、ひとつの認識のようにおもうが、それはあくまで前提であって、そのうえで、「その貌をまだ見たことがない」とつづく。短歌というのは本質的にリフレインを抱えている(となんとなく最近おもう)が、ここでも「が」の前後は広い意味でのリフレインとおもえる。「いつも手を振る」で映し出された「手」にくわえて、さらに「貌」が(見えないけれど)映し出される。そのことによって、「夕映え」の輪郭がよりはっきりとしてくる。

誰かに、なにかに向かって手を振るとき、体の前面と手のひらが同じ方を向いているのがふつうだろう。これが「前に手を振る」ということか。だとすれば、「後ろに手を振る」というのは、体の前面と手のひらが逆の方を向いていることを指すことになる。手をだらん、と下げて手を振ってみる。あるいは、体の前を通過して右手を左の肩から出して手を振ってみる。どちらもあんまりやらないことだな、とおもう。

時間の流れが、等速直線運動のようなものとして、すると朝日は今日に対して「前に手を振る」、夕日は今日に対して「後ろに手を振る」ようにおもえる。あるいは、夕日を受けて光かがやく人やものは、それそのものが発光しているわけではない、という点で、「後ろに手を振る」ようにおもえる。夕日そのものは、「前に手を振る」のだ。いくつかのイメージが重なるように「夕映え」の「後ろに手を振る」感がある。

後ろに手を振るが、の「が」は、実際には「から」だろう。夕映えはいつも、後ろ姿しか見せずに手を振ってくる。ああ、とおもって追いかけても、追いつくことはできない。回り込んで、貌を見ることもできない。夕映えのほうが、こちらを振り返ることもない。途方もなく、遠いなあ、とおもう。まるで手のとどかない水平線に触れることを夢想するように遠い。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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