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1首鑑賞48/365

水平線つまびけば鳴るといふ海を見るため昏き階(きざはし)のぼる
   飯田彩乃『リヴァーサイド』

     *

海の向こうに水平線が見える。その一本の線をつまびく、というのはきわめてスケールの大きな話で、たとえばわたしの手をぬっ、と伸ばす感じはそこにはない。それに水平線というのは、モノとして線があるわけではないから、そもそも触れることすらできないだろう。一方でこの、階のぼる、というのはわたしが現にのぼるという感じがする。「見るため」という目的が明示されていることが、そう思わせるのかもしれない。たとえば朝日がのぼる瞬間を、いちばんよく見えるココから見ようとするように。動機としてよくわかる。それも、水平線が鳴るというのだから、それはぜひ、となる。

そうすると、差し挟まれた「昏き」というのがちょっとやっかいだ。このうたは巻頭歌。ページをめくって2首めに「夕映え」とある。先に「朝日」といったが、「夕映え」だったのだ。でも、「朝日」と思ったのにはわけがありそう。おそらく、「昏き」に逆光のニュアンスを感じたのだとおもう。階段をのぼって、わっ、と視界がひらけると明るい。その影として、今まさにのぼりつつあるときの「昏き」があるのだ。

ふたたび始めにかえる。これが夕焼けを見に、階段をのぼるのであったら、うたとしてはぼんやりとしたものになったかもしれないな、とおもう。それは夕焼けそのものは、階段をのぼる時点、あるいはそれ以前にすでに、予感があったり、全体の雰囲気で感じ取ることができたり、するであろうから。こちらから動く必然性がそれほどない。でも、「つまびけば鳴るといふ海」があるのなら、それは、実際につまびくことができるかどうかは別として、その海を見なくてはならないし、水平線が視野におさまってなくてはならないし、そのためにはたとえば、階段をのぼらなくてはならない。

階段をのぼる、ということが、それも、予感しながら、「昏き」を、あえて「昏き」をのぼることが、この歌集の幕開けとして非常に印象的で、何度か読んでいるうちに不思議な気持ちになってきた。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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