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1首鑑賞47/365

生き馬の眼を抜きしことわれになく世にはあるべしその作法など
   寺井龍哉「厳冬呻吟」『歌壇』2019年3月号

     *

ざっくり歌意を言えば、次のようになるか。

生きた馬の目玉をくり抜くことを、わたしはしたことがない。けれどもそれは、わたしがしたことないだけであって、世の中にはそういうことをやる人もきっといるであろうし、また、そこにはたとえば作法のようなものも当然、存在するであろう。

ここでは「生き馬の眼を抜く」という行為が選ばれて挙げられているが、実際、こんなことばっかりだろう、とおもう。わたしにとっては当然やったことのないことでも、それを当然のごとくやる人がいる。反対に、わたしはやるが、それを当然としない人たちがいる。よいこと、わるいこと、に関わらずだ。そもそも、そのよいとか、わるいとかも、わたしか、そうでないかによって随分ちがう。この1首を、別に道徳とか教訓みたいに読む必要はないけれど、こういう実感が、「その作法など」によってはっきりと突きつけられてくる。

作法や、技術というものは、それを知っているか、知っていないか、で世界を大きく分けるものである。知ってしまえば、それ以前に戻ることは難しい。知らないうちは、そんなこと思いもしない。だからこそ、「その作法など」と添えられることによって、「べし」に重みがついてくる。

それにしても豪快なうたいだしと、「われになく」「世にはある」の対比と、四句切れ+結句によって1首を塗り替えていく方法と、技巧ずくしの1首である。一連は、わりあい緊密に連携しつつ、ずぶずぶと深いところに突き進んでいくようでスリルがあった。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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