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1首鑑賞39/365

愛された記憶はどこか透明でいつでも一人いつだって一人
   俵万智『サラダ記念日』

     *

短歌を始めるまでは気にも留めていなかった『サラダ記念日』が自分の家にもあると知って(おどろいて)読んだのが高校2年か3年のころで、そのときから、ずっと気になっている1首だ。そしていつも、第三句を「曖昧で」と記憶していて、そのたびに、あれ何だったっけ? となって思い出せず、調べてみてああそうだった、となる。これを何度繰り返しただろう。

確かに、具体的な場面として、あるいは理屈をともなって、ああ愛されているなあ、愛されていたなあ、と実感することはふだんない。わたしの場合はまずない。思い返してみれば、あれがそうなんじゃないかとか、こういうところは愛だったんだよなあ、と思い至ることはあるけれど、なんとなくそれは曖昧だし、だからといって「ない」とはっきりは言えない感じがある。だから「曖昧で」と記憶することになる。けれどもうたは、「透明で」となっている。透明。

下の句の「いつでも一人」と「いつだって一人」のリフレインは、同じことをくりかえし言っているだけで、ここに意味のうえでの更新はない。たんに、「いつでも」を「いつだって」に言い換えているに過ぎない。けれどもこの結句の字余りは、「いつでも一人」と認識することによって、そうだいつだって一人だ、と自分の中であらためて確認していく、一人であることをもうひとつ強く意識していく、そういう踏み込みの感じを差し出してくる。この「一人」という意識も、ふだんは曖昧で、透明なものなんだろう。

透明、ということをもう少し考える。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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