凡フライ日記

山下翔と短歌

第5回 遠くをおもう

 いきなり例から始める。

・なめかけの飴をティッシュの箱に置きついに住まない城を想えり
     雪舟えま『たんぽるぽる』

 「なめかけの飴」を口から出して、それが<いま、ここ>にある。上の句からはその手つきが、やけに細かく見えてくる。それは、「なめかけの飴」などという人前にはそうそう出さないようなものが、読者の側にははっきりと突き出されているからだろう。そしてその<いま、ここ>から下の句へ、ぐっと飛躍して「ついに住まない城」へと移る。<いま、ここ、でない>ところへの鮮やかな移動。「ついに住まない」には時間的な遠さ、「城」には位置的な遠さがある。それを「を想えり」という直接で述べるスタイルだ。これも短歌でよく使われる技法である。

・行くあてはないよあなたの手をとって夜更けの浄水場を思えり
     服部真里子『行け広野へと』

 手と手が重なる<いま、ここ>が、「行くあてはないよ」という鮮やかな歌い出しによって強調される。単にどこか行こう、という感じではない、二人のこれからを想像してしまう。これからのことはわからないけれど、けれども、二人でやっていきましょう、という柔らさと強さの綯い交ぜになった手が手に置かれる。そして思うのは、これからの二人のことではなく、「夜更けの浄水場」なのだ。なんだ、考えすぎていたのか、単に散歩にでも行こうとしていたのだ、と思うのは少し待ちたい。別に何かのメタファーであるとは読まない。が、確かに<いま、ここ、でない>ところの「夜更け」の「浄水場」なのだ。

・てのひらのカーブに卵当てるとき月の公転軌道を思う
     伊波真人「冬の星座」

 ここまで読んできて、<いま、ここ>にあたる上の句では、<手>がその空間を占めていることに気付く。そしてそこから<手、の届かないところ>へ思いを馳せる、という作りなのだ。
 歌に戻ると、「てのひらを卵のカーブに当てるとき」ではないところに、確かな手触りがある。そこから「月の公転軌道」を思い浮かべている。卵と月、カーブと公転軌道がリンクするのだろう。けれども後者には手が届かない。直接は触れえないけれど、思ってみることはできる。そのことの豊かさを思う。

・カーディガンたたむ あなたがゆっくりと歩いてくれたことをおもった
     江戸雪「さえずり」

 やっぱり<手>だ。あなたのカーディガンをたたむ手がある。洗濯したのかもしれない。たたみながら、いつのことかはわからないが、あなたと二人で歩いた日のことが思い返されたのだろう。どこに行ったとか、どこを通って何を話したとか、そういうことはどうでもいい。わたしのペースに合わせてゆっくり歩いてくれた、そのことと「あなた」を思うだけで温いものがたまってくるようだ。その効用は、カーディガンと重なってもみえる。
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