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1首鑑賞17/365

会えなさがうつくしさなら会いたいよからだを連れて飛行機に乗る
   黒川鮪「川面もいのち」『福岡女学院大学短歌会』vol.1

     *

歌意は、会いたいよ、ってことだとおもう。ただ、その「会いたいよ」って言ったときの「会いたさ」の、こまかいところまでは「会いたいよ」という一言だけではわからない。そのこまかい、気分のところが、この1首には籠っている。


 これは一般論として「会えないってことはうつくしいことだ」というテーゼがあって、それに対して、「うつくしいことなんかいらない」、それだったら「会いたい」、というふうに言っているんじゃないかとおもうけど。
 会えないってことはうつくしいことなんですか?
 いや、それはわからないけど。なんかそういうのありそうじゃない? 箴言的な。
 たしかに。それに対して、じゃあわたしは全然会うけど、みたいなことか。会いたいよわたしは、っていう。
 そうそう。
 うーん。じゃあ、この人のなかに「会えないってことはうつくしいことだ」っていう気持ちがあるわけじゃなくて、そっちがそう言うんなら、的なやつか。
 です。
 わたしは、自分でこういうことを思っているのかな、って読んだ。「会えないってことはうつくしいことだ」なあ、って自分で思っていて、それに対して、じゃあ「会いたいよ」っていう。
 そうか。わたしは「会いたいよ」っていう気持ちだけがあって、それをストレートにはことばに出しづらくって条件をつけた、ある種の婉曲表現だとおもった。
& あー。
 だからあんまり「会えなさがうつくしさなら」ってことの内容を考えてなくて。いま2人の言っていることを聞いて、なるほどなーって思ったけど。2人も内容までは考えてないかもしれないけれど、「会えなさがうつくしさなら」っていうことが、うたにとって大事なことば、ってことだよね。
 そうですね。なんというか、自分の中で反芻している感じがあって。噛みしめる感じ。で、そこから「会いたいよ」って漏れてくる感じです。どうしても会いたくなってしまった。
 と似てるんだけど、ぼくにはやっぱりちょっと挑発にのって、買いことば的に「会いたいよ」って言ってるように思えて。それが下の句の「からだを乗せて」というちょっと迂遠な表現につながっていると思うんです。
 そうそう、下の句の迂遠な感じはわたしもわかります。ふつうに飛行機に乗るだけなのに、「からだを乗せて」ってね。わたし(の魂?)がわたしの体を運用する、みたいな。
 「よ」って詠嘆ですよね。それで、下の句の丁寧な感じもあって、どうしても挑発にのっているとは思えないなあ。さみしい感じだとおもう。
 ぼくには下の句の迂遠な感じが、丁寧なんだけど、それはどっちかっていうと気持ちを落ち着けるために手順をひととおり説明するみたいな、怒りをしずめるための丁寧に思えたんだけど。
 どっちにしても、「からだを連れて」っていうのはこころ先行だよね。会いたいよ、っていう気持ちがわたしを突き動かしている。
 うんうん。
 それはわかります。あと、よくよく考えたら「会えなさ」ってなに? ってなってきました。「どのくらい会えないのか」の量なのか、「会えないということ」なのか。
 たしかに……。そうか「どのくらい会えないのか」の量とも読めますね。
 ということは、「うつくしさ」も「どのくらいうつくしいか」になり得るのか。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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