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1首鑑賞3/365

火消し壺といふものむかしありたりし霜は降りつつ船岡の家
   小池光「懐旧三首」『読売新聞』2019.1.3

     *

懐旧、という題から1首目のこのうたはいかにも、という感じがして、すっと入ってくる。読者のわたしは「火消し壺」や「船岡」を知っていてそうおもうのではない。ここは、それぞれに当てはまることばを思い浮かべつつ鑑賞できる部分である。「火消し壺」については、むかしあってその役目を終え今ないものが、いくらでも想定できる。船岡、という地名も固有名詞であって、固有名詞にとどまらない。

一方で、火消し壺の「ひ」と船岡の「ひ」がふたつの名詞を取り結ぶように配されていたり、一連全体にわたって「火消し」「むかし」「ありたりし」「霜」というふうに「し」の音が散りばめられていたりする(霜を除いて脚韻であることも、あるいは霜の存在感を強めるはたらきをしているか)。この音のつながりが、一首に普遍性をおびきよせる。意味ではなくて、ある〈感じ〉を伝えてくる。「霜は降りつつ」という挿入句も見過ごせない。「ありたりし」がかかるべき「船岡の家」を遠ざけることによって、懐旧の念はいよいよ強まるのだ。

いつのとき暮らした家か、いまはもう船岡の家には暮らさない。どんな生活であったか。どんなわたしであったか。その懐旧のかたわらに、むしろいっそう存在感ある火消し壺が浮かんでくる。記憶というものには、どこか、或る〈感じ〉だけでは存在し得ないところがある。記憶をはりつけておく、モノということをおもった1首でもある。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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