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1首鑑賞2/365

せんべいに食い込む胡麻を剝ぎてゆく秋の指、まもなく冬の指
   内山晶太「胡麻を剝ぐ」『現代短歌』2018.12月号

     *

指に「秋の指」も「冬の指」もないだろうとおもうのだが、こういう言い方そのものは短歌ではよくある。つまり、そのように実際言ってみることで、「秋の指」や「冬の指」といった見方や概念がうまれ(あるいは発見され)、ひとつの作品世界を作り出す。この1首では、「秋の指」というところにとどまらず、そこへ継ぎながら「まもなく冬の指」と述べられるところに特徴がある。

と、ここまで書いて、去年、「思うすなわち」というふうに書いたことをおもいだす。

疲弊していたれば歩くときに湧く浮力あり乱雑にわが浮く
   内山晶太『現代短歌』2018.3月号
自分の力でお好み焼きを焼く朝の大切に思う自分のちから
   武田穂佳『短歌研究』2018.3月号

この2首をあげて、「1首目は「浮力あり」と思うことによって、それを前提にしてさらにもう一歩、「乱雑にわが浮く」という見え方がうまれている。2首目は「自分の力で」というのを意識しはじめることで、「自分のちから」という概念を得ている。」と書いている。そうそう、とおもう。

ほとんどもとの記事を読んでもらったほうがはやいのだけれど、さらに引用すると「発見や把握の提示にとどまらず、さらにそれを起点にして歌が展開する。思うことによって、そこから、それを土台にすることによって世界の見え方がかわってくる。そのうえで、もういちど、それをつかみなおす。」というようなことが、今回のこの1首にも言えるだろう。

     *

ところで、せんべいに「食い込む」というふうに胡麻のことを言うのも、内山らしい力のかけ方である。その反作用として、わたしは指に意識を集中する。ただの指、というところにとどまらない。秋の指、という質感が出てくる。そこから、冬の指へといたる。おもえば短歌というものも、短歌にしてみることによって、それを起点に、何かを考えたり、ある情感にいたったり、そこに生まれた概念や光景がときに救いになったりするものではないか。いや、ちがうか。どうだろう。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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