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生田亜々子『戻れない旅』(2018年)

歌集は「生きているものだけに降る雨」という長めの連作から始まる。

本ばかり読む人だった今子らが灯りもつけず読む母の本
乳房まで湯に浸かりおり信じたいから測らない水深がある
思いにも骨子があって取り返しのつかない場所が夜に光るよ

母とわたしと、わたしの子らと、連綿とつづく〈家〉というもの、〈血筋〉ということのただなかに、一人立ち尽くしているような一連である。

一首目、二句切れのうたと読んだ。「本ばかり読む人だった」なあ、と、母のことを回想している。それで、たぶんわたしも「本ばかり読む」、さらにその子らも。「灯りもつけず」だから、本を読むということが習慣、習性のようなものになって引き継がれている。静かに濃いなあ、と思う。けれどもちょっと、置いてけぼり、というか、このわたしは妙に浮遊しているところがあって、〈家〉や〈血筋〉から一歩引いたところにいる。子の存在を、怖くも思っていそうだ。目の前のわが子、というよりは、〈子〉というもの、〈子〉が子であることを怖れるような……。

二首目の「信じたいから測らない」、三首目の「思いにも骨子があって」、あたりにインパクトがある。「信じたいから測る」のではなく、「測らない」。初句からいきなり「思いにも」の「も」が突きつけてくる勢いに圧される。

     *

このフレーズの力というか魅力というか、なんだろう、と生田作品を読むと思う。

毎日が戻れない旅 別々のホームから手を振り合って乗る
途中からハミングになる鼻歌のやさしいことが悲しいなんて

一首目は表題歌。「毎日が戻れない旅」と初二句でキメてくる。その心持ちを、ひらいていくように三句以下の景がある。だからといってなにか、劇的なことが起こるわけではない。ただそういうことがあって、そういう一瞬一瞬のひとつにふと、「毎日が戻れない旅」ということが浮き上がってくる。二首目は「鼻歌の」、と「の」で言い差して、ふっと「やさしいことが悲しいなんて」へ流れていく。鼻歌うたっていて、途中から歌詞が出てこなくなったのか、なんとなくハミングへ移行していったのか。どちらでもいいのだけれど、その一瞬が、下の句へつながっていく。

わかりやすい言葉にしたら伝わらない音にならない口笛を吹く
選ばれたことも選んだこともあり土鳩静かに鳴いている午後

一首目の上の句は、これまでのフレーズとは少しおもきが違う。わりあいふつうのことに近い(と思うのだが)。それを言ったら「やさしいことが悲しい」もふつうじゃないか、と言われそうで、確かにそのあたりの線引きは、受け取るほうの差異による。でもそこに「音にならない口笛」という質感がプラスされる。すーすー、と息がもれている形だ。ときおりピューッと音が鳴ったかもしれない。そういうディテールが付加されて、そのうえで、「わかりやすい言葉にしたら伝わらない」ということを思い返す。そのことによって、なにか固有のものになっていく感じがある。二首目の上の句、言っていることは当然なのだが、「選ばれたこと」と「選んだこと」を並列させて言うところに、ひとつの形がある。そうすると下の句の景はわりあいあっさりしていて、一首目とはシーソーの傾きが反対になるような読後感がある。

     *

どこかであっけらかんとしていて、この平然からくるうたの力は、たとえば小島ゆかりのそれと比べてみることができるだろう。小島の平然は「きっぱり」という感じなのだが、生田の場合はそういう感じではない。

晩夏光 川からの風をTシャツの中に通せば体が笑う
さびしいと言えないように左手を右手でつかみやはりさびしい
舐めかけのチュッパチャプスをさし出して風向きを見る私はわかる
ままならぬことを抱えていることもうれしい 明日も玄米を炊く

一首目の「体が笑う」には無防備がある。二首目、三首目の行動と、そこからくる「やはりさびしい」や「私はわかる」の平然。四首目の「うれしい」「明日も玄米を炊く」。どこか普通ならざる感じがある。「きっぱり」でなければ何なのか、何だろうなあ。

たましいはいくつになった? 生きていくために朝晩顔を洗って

いやいや「たましい」って「わたし」と同じ年齢じゃないの。と思うけれども、いやそもそもたましいに年齢とかあるのか、とか、これは精神年齢のこと? とか、本当は当然のことではない「たましいの年齢」という概念をすっとばして、この問いがある。そしてそれは、普通ならざるのだが、あくまで普通のこととして差し出される。わたしにとっては普通なのだ。わたしであることも、わたしの在り方も。



※歌の引用はすべて歌集『戻れない旅』(現代短歌社、2018年)に依ります。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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