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戸惑いがなびくとき——辻聡之『あしたの孵化』(2018年)

歌集のはじめに置かれた「カラーバリエーション」という連作が、1冊への自然な誘導になっている。職場のこと、家族のことが、そしてそれらを見つめる眼差しが、端的に示されている。

物語の歌集だと思う。語り手の視線はきびしい。

     *

屋上へゆく階段の仄暗さ言葉の針をひとつ折りつつ
野菜ジュース満ちて光れる朝々を渡れネクタイを白き帆として
責任感とは鉛の言葉ぼたぼたと空に撃ち落とされるよ椿

働く人である。職場というものがあって、そこにはひとつの〈関係〉というものがあって、それはもとよりそこにあったものもあれば、そこに自分が入ることによって生まれたものもある。〈関係〉のなかを、「それはそうだ」とか「それはちがうんじゃないか」とか、思いながら、生きていく。この歌集は、どちらかと言えば、「それはちがうんじゃないか」という視線で貫かれている。そういう、いわば「言葉の針」を、一首目では「折りつつ」、しかし二首目では朝、「ネクタイを白き帆として」歩みつつ、それでもやっぱり三首目のように、「ぼたぼた」と「撃ち落とされる」「責任感」という「鉛の言葉」を見つめる。ただ、「それはちがうんじゃないか」と異議申し立てをするにとどまらず、屋上という開放的な場所へ至るためにある階段の「仄暗さ」を見たり、言葉の「針」を自覚したり、野菜ジュースが「満ちて光」ること(そして、その人体、あるいは朝というもの、そしてそれが日々あること)を感じたり、ネクタイを「白き帆」と見立てたり、空なのに、「空に撃ち落とされる」と逆立ちしたり、「ぼたぼた」の感じを「椿」と取り結んだりする。うた、というのはそもそもそういうものなのかもしれないが、この歌集のほとんどどこをとっても、直截というところからは遠く、一首があるように思う。

     *

それは、何か外への異議申し立ての際に、かならずそこに自省があり、しかしそのことによってひとつも弱くならない異議申し立てであるから、なのだろうか。

麒麟 わが日常にべこべこのアルミ缶より駆け出せぬもの
置き去りにされたるままに生きて来し少年の顔で眺むる熱海

先に職場のことを言ったが、この、ひとりの人が生きていくとき、ひとつには家族があり、またそこには当然のごとく自分自身があり、「駆け出せぬもの」すなわち缶ビールの柄の「麒麟」に、あるいは「少年の顔」になりきって眺めるその「顔」に、いまの自身が透けてうつる。

焼香の手順を観察しておりぬ悲しみ方は模倣されうる

結句の「うる」に、一首の独特がある。深い内省によって強化された主観が、さらに語り手という客観を通して提示される。強い、ごく個人的なひとつ感情が、この「うる」によって、ごく個人的なものをこえてくる。

     *

歌集を読みながら、歌集について書こう、と思うことは少ない。好きな歌、いいと思う歌、珍しい歌、おもしろい歌、修辞の魅力的な歌のことは目に入る。けれども、それらの歌について語ることを通じて、歌集について言い及ぶ、ということが、わたしの中では少ない。ほとんどない。けれどもこの歌集は、何か、歌集という総体があるようにうつった。

暗き樹がそばだてている耳いくつ わたしは低い声を出せない
借り物かもしれぬ体を温めるための湯船に膝を曲げおり

歌集なかばの「十四歳」という連作から。回想のうただろうか。何かこの人の、これまで読んできたのとはちがう、質感のことばが並ぶ。眼差し方は同じなのに、どこかぼんやりとしていて、しかも自省、内省の域を出ない。だから立ち止まる。「低い声が出せない」ではなく、「低い声を出せない」。出そうしているけれども、「出せない」のだ。

幼かりしわが声を知る父の耳わが壮年の声知らず閉ず
おにいさん、とバニラの匂う声で呼ぶ義妹のながいながい睫毛よ
弟の命名リストに点りおり星のごとくに愛とか美とか

戸惑い、なのかなあと思う。ここでは家族のうたを引いた。家族というものはそこに在って、あるいは新しく生まれていくものだが、その〈関係〉に否応もなく巻き込まれるものである。気づいたときには渦中にいた、ということがほとんどである。職場における〈関係〉も、確かに自分が選んだ場所ではあるけれど、しかし、その〈関係〉には予期せぬ動きがあり、見知らぬ働きがあり、気づいたら、その渦中でやり過ごすものになっている。「それはちがうんじゃないか」という異議申し立て、ではなくて、「それはちがうような気がするんだけど……」という戸惑いのようにもうつる。

ブルーシートとブルーシートの境界にふるさくらばな ひとりでもゆく
すこしずつ他人の家になりゆくをさびしきことと言い捨てて母は

戸惑い、というのはたとえば怒りとなって発露する。それがさびしさのこともある。二首目の「さびしき」と「言い捨てて」にはその両方がこもっている。たれもみな、戸惑う人なのだ。そう思うからこそ、一首目の「ひとりでもゆく」の決意は強い。

戸惑いが怒りになびいても、さびしさになびいても、かまわず「ひとりでもゆく」、なのだ。

     *

歌集はまだまだつづくが、ほかに印象的なうたをあげる。メタファーということに、真剣に取り組んでいる歌集でもあると、ここまで読んで気がついた。

ゆっくりと潜水しゆくウミガメのまぶたを水圧の手が閉ざす
実家から届いた茄子を腐らせるこれからも死んでゆくための旅
沈黙をチャイルドシートに座らせてわが弟は戻り来たりぬ



※歌の引用はすべて歌集『あしたの孵化』(短歌研究社、2018年)に依ります。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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