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キャンプ

昨日から一泊二日のキャンプへ出かけていた。昼過ぎにロッジに着いて、4時間ほど歌会。それから火を起こし(ライターです)、薪を燃やしてカレーを作った。具材は持ち寄り、豆とツナと茄子とオクラとトマトスープがうっすらとけて。あと、牛すじ(だったかな)。やっぱり火はいいナ……。

夜は花火。担当のUさんが300発入りという大物を買ってきていたのを、手分けしてやっていく。そのうち100発ほどは線香花火であったらしい(そういうことか)。吹き出し花火というのもひとつだけ入っていた。しかしこれはあまりのあっけなさだった。幻の類いだと思う。それから朝まで飲んでいた。

酔っていたので覚えてないが翌朝の鞄になにかの骨を見つける
   ユキノ進(『うたらば』vol.17)

初二句の「酔っていたので覚えてない」という言い回しは、翌朝の言い訳の常套句という感じだ。ごく日常的にも使われるけれど、(犯罪など)何かやってしまった人が追及されて、ごまかすために言うようにも聞こえる。(実際、酔っていて覚えていない、ということはよくある。しかしそれは、酔っていた「ので」なのだろうか。おそらく違う。だからこそ、「酔っていたので覚えてない」というのは、苦しい言い訳の常套として納得される。)

さて何をやらかしたのか、と思いながら歌を読み進めると、「鞄になにかの骨を見つける」。たいしたことはない。安心する。しかし「なにかの骨」ってなんだろう。酒の肴の鯖の骨でも入っていたのだろうか。まさか。そういう「まさか」もありうるのが酔っぱらい。ただ、鯖であれば「なにかの骨」というよりは「さかなの骨」という感じになるだろうなあ、と思う。もう少し、ぱっと見ただけではわからないものを想定する。猫の骨? 人の骨? あるいは骨のような色形のなにか? いずれにしても、どうしてそんなものが……というものには違いない。考えを巡らせながら、この人もだんだん怖くなってきてるんじゃないかな、と思う。静かに、ゆっくり迫ってくる一首だ。

     *

今朝ロッジにもどって寝袋に入ったのが朝の4時くらいだったか。ものすごく寒かった。海辺ということがあるにせよ、もう秋なのだなあと思う。秋の風だ。日暮れも早い。それでもときどき入道雲が出ていることがあって、遠い日のように夏の時間を思い出す。

秋がくる 床屋の椅子に重大な秘密があってほしいと思う
   工藤吉生(『うたらば』vol.17)

季節の変わり目は曖昧だとしても、突然「秋だ!」と思えるような日がある。初句の「秋がくる」は、季節というもののそういう側面を思い出させる。季節の変わり目はなんとなく落ち着かない。「秋がくる」(!)という気持ちだけが、ざわざわと胸にある。それが、下の句の「あってほしいと思う」と期待する気持ちに結びつく。

床屋の椅子である。わたしがまだ体験したことのない機能があるかもしれない。確かに「重大な秘密」がありそうである。何だろうなあ。そわそわしてくる。

     *

二十歳くらいの頃(と言ってもつい5年くらい前のことだが)、酒を飲んではただただ泣いていた日々があった。一生懸命だったのだろう——と、人が泣いているのを見るようになってから思うようになった。これしかない、ここしかない、と思う気持ちが知らず知らずのうちに重圧となってのしかかり、それが溢れ出す、というような泣き方であった。近頃、そういうことがほとんどなくなった。いいことなのか、つまらぬことなのか。

守備力が1だけ上がる思い出に何度も助けられてきました
   宇野なずき(『うたらば』vol.20)

守備力が1だけあがる、というのはゲームの話だろうか。といってゲームに詳しいわけでもなければ、ほとんどやりもしないので、うっすら、そう思うのみである。しかしこの、「何度も助けられてきました」には深くうなずく。「1だけ」であることや、それが「思い出」であること。それにもかかわらず、なのである。ささやかであっても、確かなもの。遠くにあっても、それが今はなくても、かつて「あった」ということ。それが、「何度も」力になる。「守備力」の対義語は「攻撃力」になると思うのだが、この語のチョイスにもやられる。

     *

キャンプ場を出る前に、たまごうどんを食べる。温かいうどんを食べるのはいつぶりだろうか。たまごがひとつ落としてあってそれだけの、シンプルな形のうどんだ。あせらずに、ちょっとずつ食べる。何かが起きたようでもあったし、しかしだからと言って何かが変わるようなことでもない。一泊二日のキャンプはあっけなく終わってしまった。

放課後の吹奏楽部のスイングに歩調をさらわれながら帰ろう
   久永草太(『うたらば』vol.21)

スイング、ということばは、知ってはいるけれどほとんどよくわかっていないことばだった。けれども、「吹奏楽部のスイング」であるし、それに「歩調をさらわれながら」であるから、わからないけれど、わかる。ある種の旋律やリズムに歩調をさらわれる感じ。足をとられる、ということだけれど、「歩調」「さらわれながら」というのが、「吹奏楽部のスイング」をまこと見事にとらえているようで、だからこそ、一読して一首の気分にいたることができた。(その「スイング」だが、今かんたんに調べてみたけれど、やっぱり説明はできそうにない。)
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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