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ユキノ進『冒険者たち』(2018年)

ユキノ進の第1歌集である。さまざまな作品世界がつまった1冊だ。

貪るように生きていくのだ石塀のすき間に沿って茂る夏草
飛ぶ力を失いながら遠くなる水切りの石を見ればくるしい

とくに印象深い2首。くわしくは「現代短歌新聞」6月号の歌壇時評に書いたので、ここでは他のうたを読んでいきたい。

     *

午後ずっと猫がふざけて引きずった魚のまなこが見上げる世界

ユキノ進の代表歌だろう。初出のときからずいぶん話題になっている。「九大短歌」第四号にも、すこし書いた。一首のなかにくっきりと世界がある。そういう歌群の1つだ。一首においてもそうだが、ユキノ進は、連作にしても、歌集にしても〈作る〉歌人である。この歌集のなかにも、いくつもの〈世界〉があらわれる。読者はその〈世界〉を体験する。それは、『冒険者たち』というタイトルの「たち」が示唆しているところでもあるだろう。

待って待って、たて笛を姉は持ち出してつっかえながら吹くグリーングリーン
次はいつ帰ってくるのと聞く姉とだまって袖を握るおとうと
九階のベランダ越しの三人の影がおおきく手を振っている

単身赴任の一場面だ。もう時間なのだが、「待って待って」と父をつかまえる娘。学校の授業でやっているのだろう、練習して吹けるようになった「グリーングリーン」を披露する。父をひきとめる理由はなんでもいい。次、いつ会えるかはわからないのだ。そういうことを姉はできるけれど、おとうとは、姉の袖を握ってじっとしているしかできない。年齢の差がおのずと表れている。父と過ごした時間の差でもあるだろう。こまかな場面だ。帰る父の背を、見えなくなるまで見送るような「三人の影」である。夜、部屋の明かりが逆光となる。「影」の一語が、場面の印象を濃くする。

雪だるまは連れてけないな 雲(クラウド)に写真を乗せてふたりに送る

娘の「グリーングリーン」や、息子のまなざしに呼応するように、父も「雪だるま」を見せてあげたいと思う。連れて帰って(でも、表現としては「連れていく」になる。「帰る」ではないのだ)、一緒に遊びたいと思う。でも、当たり前だが、雪だるまは連れていけない。だから写真に撮って共有する。その手段がクラウドというのが、なるほどそういう使い方ができるなあ、と妙に納得する。雪の縁語の「雲」を表記しながら、クラウドへ転じていくところなど、こまかな采配にうれしくなる。

双眼鏡で三百円分見る景色 生きることまたいつか死ぬこと

100円玉を3枚入れて、決まった時間使える双眼鏡。展望所などによくあるものだろう。たしかに、「三百円分」である。そこにある景色は変わらずずっとあるのに、双眼鏡を使って見ることができる時間はいっときだ。〈世界〉はここにあるのだが、わたしが見ることによってはじめて《世界》として認識される。よこたわる〈世界〉と、生きて、そして死ぬこのわたしの《世界》との関係が浮かんでくる。グリーングリーンの歌詞に出てくる、「そして」を挟んだ体言のリフレインが、ここでの「また」を挟んだ体言のリフレインと重なってうつる。

     *

ほかにも、職場という〈世界〉がえがかれていて、歌集の中心的な話題となっている。あるところでは戯画化しながら、しかし投げられる球は重い。1首だけ引用しておわりにする。

人がひとを裁く疚しさ 意欲とか責任感まで評価するのか



※歌の引用はすべて歌集『冒険者たち』(書肆侃侃房、2018年)に依ります。
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プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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