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「○○のうた」メモ

やまなみ誌上に書いている「○○のうた」のメモです。

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2020年
12月 
11月 
10月 
09月 休載
08月 階数のうた
07月 お金のうた
06月 休載
05月 休載
04月 東直子のうた
03月 句跨りのうた
02月 小田鮎子のうた
01月 〈五句〉のうた

2019年
12月 郡司和斗のうた
11月 愛のうた
10月 島田幸典のうた
09月 休載
08月 小島なおのうた
07月 複合動詞のうた
06月 小島ゆかりのうた
05月 四句切れのうた
04月 花山周子のうた
03月 母のうた
02月 菊竹胡乃美のうた
01月 固有名詞のうた

2018年
12月 小池光のうた
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みつまめ

「短歌往来」8月号、駒田晶子さんの

みつまめをつつきつつ子の三人は母の知らざる動画のはなし
三人の子と食べているみつまめのさくらんぼを取っておくわたしだけ

といったうたに惹かれる。「6月のパンダ」という連作から引いた。三人の子から浮きあがるようにして母のわたしがいて、寂しげな、でもそれをどうこうしようというでもない、しずかな光景をおもう。

ちょうど昨日、ツイッターに流れてきていたジャンプの目次を見て、もう知っている漫画がほとんどないなあとおもったところだった。「母の知らざる動画のはなし」である。

たとえば定食屋に行って、たのんで出てきたものを平然とのこす、という光景にいまだになれない。食べられないなら全然のこしていい(し、平然としていて当然である)のだが、習慣というか呪いというか染みついているんだなあとおもう。

好きなものから食べるとか、食べている途中に飲みものを飲まないとか、食事にまつわるあれこれは世代でも地域でもなく、さまざまちがう。さまざまちがうことを、つい、いつも忘れてしまう。さくらんぼはどうだろう、最初に食べてしまいそうだ。

7月の連作

2020年7月の諸誌紙から、気になる連作をピックアップします。(順不同)

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武田穂佳「煙の生活」30首(「短歌研究」7月号)
はじめから終わりまで息が途切れないような迫り方があった。一首が立っているというよりも、一首にこもるカロリーが大きい。〈一年間生きて、また春が来ることかなしむように菜の花が立つ〉〈死ぬことの意味をしつこく聞いていま殺すと怒鳴られた台所〉。生きることをめぐる一連であり、「子ども」だったころの記憶や感情がいりまじるようにして展開していく。

小池光「近づく夏」30首(「短歌研究」7月号)
日々抄、といったおもむきの一連で、そこに「近づく夏」というふうに、そのままのタイトルが添う。〈牛飼ひを廃(や)めたる農家にのこされし暗き牛舎をのぞき見るかも〉〈林間の道一瞬にみえて消ゆ日傘のひとか歩みをりたり〉。固有名詞をふんだんに使いながら、また、さまざま興味をうつしながら、「近づく夏」の気配がえがかれる。

山階基「せーので」30首(「短歌研究」7月号)
〈もらったのぜんぶ捨てたというきみのナイスポーズの写真を消さず〉の「きみ」をはなれながら、〈灯の消えた神社の鳥居くぐるとき忘れるように手を握られる〉の「手」や〈心臓は胸ごしにある耳に耳貸しあうような打ち明け話〉の「心臓」や「胸」や「耳」の「あなた」へうつりゆく時間をえがく。消すもの・消さないものの輪郭の濃さから、体感のような混濁としたものへのうつろいが印象的。

佐佐木幸綱「『佐信書簡』(佐佐木信綱・新村出書簡集)」21首(「短歌往来」7月号)
一首目〈『佐新書簡』は三百七十三ページ つくづく郵便の時代だったと思う〉は一連のはじまりにあたって概括的な一首であるが、「郵便の時代」という把握が、葉書手紙の往来その厚みを呼びおこして一連世界へいざなう。「三百七十三ページ」という具体もそうだが、それよりもむしろ、こういう簡単でありながら大きなことばでうたっていって、そこに説得力がうまれるところに佐佐木幸綱のうたがあるようにおもう。

三枝昂之「常なき日々の——多摩丘陵2020年春」30首(角川「短歌」7月号)
迢空賞受賞第一作。こちらも日々抄、というおもむきであるが、みずから対象に向かっていくというよりも、もうすこしおおらかな雰囲気がただよう。〈傍らに人がいることコーヒーが香ること机上がわれを待つこと〉〈うぐいすが競い合ってる緋鯉真鯉が喜んでいる風が応えている〉は終盤の二首。リフレインがかならずしもここちよさのほうばかりになびかず、緊張感をたもっている。  ※「昂」の左下部は「工」です。

岸並千珠子「あやめ」7首(角川「短歌」7月号)
〈父はいま管につながれ動きをり夜風になびく浅根のあやめ〉、「管」と「浅根」が「父」と「あやめ」をしぜんにとりむすぶ。〈もう会はぬひとりと父を消し去りてつけるマスクの裏のゆふぐれ〉、結句で「裏のゆふぐれ」と展開していくところに立ち止まった。〈鏡のなかに自らの髪切りてをり床に広がるわたしの範囲〉。父の死それそのものよりもっと大きなところでうたわれた挽歌一連とうつる。

     *

ほかに7月に読んだ連作から。

松村正直「うれしいこぶた」15首(「パンの耳」第3号、2020.6)
たとえば〈ひとの心の奥は見えねど寄り添いて地蔵の横に水仙が咲く〉という一首は、「寄り添う」ということのひとつのあり方を示しつつ、そこに「ひとの心の奥は見えねど」がかさなって映ることで、一首によい曖昧さがのこっているようにおもう。こういう一首の世界のあり方が印象的な一連だった。〈正面からとは思えども裏切ると言えば背中のあたり寒くて〉。

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎『温泉』ご購入はこちらから。現代短歌社のオンラインショップです。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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