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連作覚書2019(その3)

連作覚書2019(その2)のつづきです。

ここまで、

・一首一首はそれほど強くなくても、全体としてなにか強い印象をのこすもの
・全体でなにか、というまとまり(統一感、というよりはテーマやストーリー)はないが、一首一首が良いもの

のどちらかを選んでいるようにおもいます。抜群にいい一首があるだけでは、「連作」としてはひっかかってこない感じです。もちろん好みの文体や題材はあるのだとおもいます。しかし偏りは気にせず、のこりを選んでいきます。

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11月20日(水)

「歌壇」8月号、染野太朗「夕立」12首が「平成」でないわたしをさりげなくえがいて印象的だった。福岡から大阪へ移住しただけの一連に見えて一首目から怪しい。「短歌往来」8月号は、斉藤斎藤「神に視、点(1)」33首に注目する。じっさいには66首あるように見えるのだが、ふたつの声をひとつに読めばいい。しかし文字で書いても、声に出してもいちどにふたつのうたを書くこと・よむことはできない、ということ、それを実現しようとしてみること。

角川「短歌」9月号から、花山多佳子「降らぬ曇りを」28首竹中優子「空耳、小耳」10首を挙げる。それぞれにいいうたがあり、ノッている感じがある。文体の弾みのようなものが、一連を読ませる。「短歌研究」9月号は、作品連載第三回、山木礼子「天国」30首に力を感じる。初読のとき、劇場的、というメモをつけている。

角川「短歌」11月号、藪内亮輔「Ada(死の……)」30首は久しぶりにこのスタイルの連作に接してわくわくした。詞書を多用しながらうねるように進行する。くわえて縁語や掛詞によるイメージの交錯がたのしい。

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11月21日(木)

「歌壇」8月号、渡辺松男「藁部ナンナン君新作二十首Ω」20首はタイトルからしていかにも怪しいが、松男さんらしい一連。〈ぼくのかげトラックくればトラックのバスくればバスのボディーに吸ひつく〉など。「短歌往来」9月号、小坂井大輔「五十二年プラン」5首も小坂井さんらしいうたが並ぶ。愉快というか、なんというか。もうひとつ、黒瀬珂瀾「雨がからむ」21首が沖縄を詠んで印象的だった。小坂井の〈自分の判断に酔いしれる〉、黒瀬の〈衆愚のひとり〉に似た眼差しをおぼえる。「歌壇」9月号は一ノ関忠人「だんごむし」12首に立ち止まる。ここにも〈無能の人われ〉という結句あり。もうひとつ、梶原さい子「徒競走」12首は転換なめらかな一連で飛距離がある。

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11月23日(土)

「現代短歌」8月号は特集「辺野古を詠む」。大口玲子「船」13首斉藤斎藤「娘は合格」13首大松達知「かねひで」13首染野太朗「L氏」13首がとくに印象にのこった。作品連載から、永田紅「どうぶつのおいしゃさん」24首を挙げる。

角川「短歌」11月号。馬場あき子「いきものの夏」28首は、題のとおりさまざまにいきものがうたわれる。ことさらに愛でるというわけでもなく、対等にかかわりをもとうとするふうである。〈黒揚羽青筋揚羽ゆきかよふどちらにもよき夏であつたか〉〈かたつむりはトマトを食べて赤い糞するなり可憐な生も夏越す〉など。小島なお「触れないのは」10首にも注目する。〈潮風が壁のペンキを剝がしゆく 記憶はなにを奪うのだろう〉の下の句など、想念のつよい一連。

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11月30日(土)

「短歌往来」10月号、丹治久惠「泡」7首に引き止められる。〈午後の光を背に負ひわれに向かひくる蝶のひと群あっ、むかしのみんな〉など。「現代短歌」10月号、巻頭は小池光「大黄」50首。この歌数にあって大きなテーマや進行はなく、濃淡・緩急をくりかえしながら一連がすすむ。話題豊富のわりに散漫でなく、かつ、単調にもならない配分に読まされる。作品連載は、宇都宮敦「ゴースト」24首染野太朗「青い空、青い草生」24首に注目する。染野作品の濃淡・緩急は小池作品のそれに近いものを感じた。視点人物の首が伸び縮みしているような感触というか。宇都宮作品は〈あの海はサーファー達のものでいい それこみの海を車から見る〉の「それこみの海」のような措辞に弾力を感じた。

「短歌研究」10月号、川島結佳子「6秒待つ」20首は直裁な物言いがさっぱりした形で提示されている。田口綾子「たつこ」20首は後半の絞り込みに再読を促された。斉藤斎藤「カフェテリア」30首は、◇で区切られた三つのブロックから成る。はじめ詞書のない第一ブロックには実況中継のようなこまかさがあり、次のブロックは「そもそもこの話は……」というように少し前の話から始まる。最後のブロックで「というわけで今のこの生活は……」と、第一ブロックにつながっていくのだが、同じ地平ではなく、うっすらひとつ上の層に接続するような感触がある。もうひとつ、中野霞「落日」30首に惹かれた。

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その4へつづく)

短歌日記332/365

9時半起床。95.8キロ。Twitterをやっていると、自分のいじましさがよくわかる。

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ミュートワードばんばん増やし悲しみは薬物乱用のごとく虐むる

1首鑑賞331/365

久しぶりにお酒を飲んで帰る日の月夜、道の真ん中に10円
   石井大成「春のマリオ」角川「短歌」2019.11

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お酒飲んでいい気持ちになっているんだろうなあ、とおもう。「月」夜に月をみつけて、道の真ん中に「10円」玉をみつけている。だいたい「お酒」の「お」がもううれしそうだ。

しばらくお酒飲んでなかった。だからこそ今夜は月が見えるのだし、世界は月夜になるのである。あかるくて丸い世界につつまれている。やさしい世界。「真ん中」もそうだ。解像度の低さが、全能感が、まっすぐに迫ってくる。

短歌日記331/365

9時起床。95.5キロ。職場が洞穴のように寒い。

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唐揚げと食べると決めて残しおくわかめおにぎり弁当の隅に

1首鑑賞330/365

眠るときすこし沈んでいくようなこれがゴールかみたいな感じ
   石井大成「春のマリオ」角川「短歌」2019.11

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この「春のマリオ」という連作の背後には、ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」の世界がセロファンのように貼りついていて、現実の〈わたし〉を、そのセロファン越しに眺めるような視点が見え隠れする。ここでも、「ゴール」という一語にはうっすらとゲームの感触がある。

それはともかく、一首を読む。

「眠るとき」の「すこし沈んでいくような」感覚をうたう。じっさいにベッドに身が沈むのとはちがった、空間を〈わたし〉そのものが沈んでいくような体感である。それをさらに、「これがゴールかみたいな感じ」と言う。「これがゴールか」というのは、思っていた「ゴール」のイメージとはちがって、意外とあっさりしているな、とか、じっさいこの先はなにもないんだな、とかいった気分のことを指すのだろう。拍子抜けや脱力の感がある。あるいは「まだ実感がない」といったセリフが浮かんでくる。

「ゴール」はどこかで「死」のイメージを引き寄せる。ゲームのなかで穴に落ちたりダメージをくらったりして「死」ぬことはある。けれども「ゴール」しない限りは、ふたたびやり直すことができる。真に「死」ぬのは「ゴール」のときなのだ。「ゴール」を目指していたにもかかわらず。

またゲームの話になってしまった。

感覚を感覚でたとえる、というのはなかなか難しいことのようにおもうけれど、このうたは、リフレインのようにして感覚が迫ってくる。「これがゴールか」という口語が、一段階、肉体にちかいところにあるからかもしれない。

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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