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1首鑑賞271/365

骨壺を鳴らしてすぎし朝地震(あさなゐ)のあとむらむらと蜘蛛の子は生れ
   馬場あき子『あさげゆふげ』

     *

馬場さんのえがく生物というのは、どこか生気のようなものを宿していて、その存在が読んでいて迫ってくる。この存在感はどこからくるのだろう、とおもう。読んでいて、眼前にその生物がいるような、あるいはじっさいに手に触れているような感覚におそわれる。

骨壺を鳴らしてどれほどの地震だろう。それほど大きなものではなかったようにおもう。静寂のなかに骨壺の鳴る音がひびく。だから、ではないのだが、でも「だから」とおもわれるように「むらむらと」蜘蛛の子が生まれる。ここに生死の対比を見ることはできるが、必ずしもそれが強調されているわけではない。ただ起きたできごとが語られている、という印象をもつ。それがかえってリアリティをうんでいるのだろう。鳥肌のたつような光景である。

短歌日記271/365

10時半起床。出勤の道すがら、偶然、地元の友人にあう。じつに10年ぶり。

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車停めてくれてみじかく話したりきみに追ひつくわれの体重

1首鑑賞270/365

かぶと虫つかみてあれば角(つの)立つるちからむりつと吾をたぢろがす
   馬場あき子『あさげゆふげ』

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つかまれたかぶと虫は、逃れようとして角を立てる。その「ちから」の唐突、おもいのほかのつよさにたじろぐのだろう。「むりつと」はいまの仮名遣いで書けば「むりっと」。角を立てようとして「むりっ」とちからをかける。生々しい感触がある。反らすようなちからの向きがおもわれる。この「むりつと」もそうだが、「角立つる」というこまかな描写も相まって、ひとつちからの場面が鮮明に浮かんでくる。

短歌日記270/365

10時半起床。『ビルの残照』(長田泰公、現代短歌社)を読む。

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けふの日を閉ぢなむとはげむ店内に変な味するスピリッツ飲む

1首鑑賞269/365

こんなにも飢ゑてゐるのだといひたげに鵯が喰ひちらす蜜やさざん花
   馬場あき子『あさげゆふげ』

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ヒヨドリは、果実や花の蜜を食べる鳥である。

つつじの花ちぎりて花の蜜を吸ふわれはひよどり子あり妻なし
   小池光「ほくろ」(「短歌研究」2018.7)

といううたもあるが、ここでは「さざん花」の花の蜜を「喰ひちらす」ヒヨドリである。その懸命のさまを「こんなにも飢ゑてゐるのだといひたげに」という。じっさい「飢ゑ」というのは野生の動物には当然つきまとうことで、あるいは比喩でなく「飢ゑ」ているようにもおもわれる。

それから結句「蜜やさざん花」に注目する。上の句からの流れるような韻律を詠嘆の「や」ですぱっと切って、余韻のごとく「さざん花」を据える。そこにのこった山茶花のさまが、ヒヨドリが去ったあともなお、「飢ゑ」というものの感触をのこすようである。

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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