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1首鑑賞151/365

母となり祖母となりあそぶ春の日の結んで開いてもうすぐひぐれ
   小島ゆかり『六六魚』

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いつの短歌バトルだったか、このうたはエキシビションマッチの一首として発表された。題は「結ぶ」だったとおもう。会場のビルのフロアには一日の熱量がうっすらこもっていて、そこに薄曇りの空からぼんやりと日が差していた。ゆうぐれまであと少し。会場全体が一瞬しんとなったのを思い出す。しずかな興奮があった。

子を生んで母となり、その子が育って今度は孫が生まれ祖母となる。その歳月がひとつ空間にこもっている。「結んで開いて」の童謡はかつてうたい、また、今うたうものだろう。そうこうしているうちに「ひぐれ」がやってくる。それは「結んで開いて」つまり「わたし」の時間の終わりを予感させる。「母となり祖母となり」の流れがおのずから、「結んで開いて」の動きとかさなって映る。今なお、一首のかかえもつ歳月の厚みと熱量とうたの流れに圧倒される。
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短歌日記151/365

10時起床。92.6キロ。半休なので洗濯、散髪、月詠とたまっていることをこなしていく。『光と私語』(𠮷田恭大、いぬのせなか座)を読んだ。Galois忌。

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髪切れば膨らむごとし顔剃りを終はりて縮むごとしわが顔

1首鑑賞150/365

まだ来ぬはやがて来ることもう来ぬは来ぬときまりて来ないことなり
   岩田正『柿生坂』

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いっけん「まだ来ぬ」と「もう来ぬ」の違いをうたってはいるが、こころは「もう来ぬ」のほうに傾いているようだ。第三句以降の「もう来ぬ」の気持ちを際立たせるように「まだ来ぬ」のくだりがあるように見える。

「まだ来ぬ」というとき、そこには「やがて来る」未来が想定としてある。しかし自身の年齢ふくめ状況をおもえば、ほとんどのことは「もう来ぬ」ことのように思われてくる。「来ぬときまりて来ないことなり」という粘着は、どこか自虐自嘲めいていて、痛々しい。だからこそ、ここに本意があるように感じる。一首は「まだ来ぬ」と比較して対句構造をとりながら、「来ぬ」の重畳によってわりあいかろやかに仕立てられている。ここに一首のバランスをおもう。

短歌日記150/365

10時起床。93.3キロ。『虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか』(石井光太、平凡社)を読む。

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眠らうとして手記を読む窓際にときをりあたる風のつめたさ

1首鑑賞149/365

ひとすじに鉢をこぼれるあさがおの蔓は舗道に花を散らして
   山階基「百年」角川『短歌』2019.6月号

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頭から順に読んでいって、ひとつも不明瞭なところはないのだが、結句に至ってはじめて花は散っていることを知る。第三句「あさがおの」を読んだところで咄嗟に「花」をイメージしたのだが、その映像がかき換えられるかっこうだ。

そもそも初句の「ひとすじに」で予感すべきであった。ひとすじ「の」ではなく、ひとすじ「に」であるから、視線の誘導がふくまれている。眼前に「ひとすじ」の総体があるのではなく、ひとすじの蔓をたどってその先の花に至るのだ。

ひとすじの蔓のその先に花は散って在る。あさがおは合弁花であるから花びらが散るわけではない。「花」は萎れるか落ちるかする。ところがここでは「蔓」を主語に据えることによって散るを実現する。ささやかな更新がある。それははじめに書いたかき換えとあいまって、長く舗道の花を印象づけるようだ。

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎『温泉』ご購入はこちらから。現代短歌社のオンラインショップです。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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