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1首鑑賞90/365

自転車の青年とゆきあひたる後に何とも甘き残り香がくる
   志垣澄幸「午睡」(梁95号)

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におい、というのは実にひとさまざまで、そのうえ自分ではなかなか気づきにくい。体臭、洗剤・柔軟剤、香水、制汗剤などなど、その源はいろいろあるが、知らず知らずのうちにある固有のにおいを人はまとっている。人に指摘されてはじめてわかることも少なくない。同じように、家のにおい、というものも家ごとにまるで違っていて、ひとの家にあがらせてもらって驚くことあまた。自分にとってここちよいにおいが他人にとってもそうであるかは、ただちには断じることができない。不快なものについても同様である。におい、というのはこういう複雑な面をもっている。

掲出のうたは、青年とすれちがったその瞬間にやや遅れて、なにやら甘い香りが鼻にとどいた、ということを言っている。悪臭と言われるようなものではないが、なんとなくここちよくない。それが「何とも」という形容にあらわれている。戸惑いもあっただろうか。このにおいはどこからくるのだろう、としばし考えたであろう。「する」ではなく「くる」という動詞からは、「鼻をつく」ということばを連想する。たちまち過ぎ去ってしまった自転車の青年の、生活、暮らしまでをも思わせるような残り香が、うたの中にも残っている。
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短歌日記90/365

9時半起床。ここ2年くらい新聞をとっていたが、4月から止めることにした。

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夜のロフトにあかつきかけて眺めゐし動画 がた、つと新聞が来る

1首鑑賞89/365

夕陽さすスイッチバックの古き駅少年ひとり降りてゆきたり
   曽川文昭『スイッチバック』

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素朴なつくりの1冊で、表紙の遊びごころも簡潔でたのしい。1首のなかに必要十分な情報がふくまれており、それが連作の整理整頓と合わさってどこか新鮮に、なめらかに1冊を読み通させる。

掲出歌は、熊本旅行の折の1首のようだ。少年は現地のひとだろうか。目的とするところ、降りる駅のちがう旅行者と現地者とがひとつ乗り合わせるのが鉄道というもの。そのおのずからなる差異がスイッチバックの駅で交差する。印象ふかい光景だ。

さす・スイッチ、バック・古き・駅、と音の連関なめらかに上の句があり、そのために体現止めの「駅」がしんとして動かない。下の句、そこに少年の動きがすっ、とあらわれる。たちまち列車が動きだす。眼差しだけがそこに残って1首となった。

短歌日記89/365

客人が帰ってもう少し眠り、10時半起床。『スイッチバック』(曽川文昭、現代短歌社)を読む。

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春のそこひの百尋千尋ふきたまるさくらはなびら霞をおびて

1首鑑賞88/365

生臭くあかい夕日はたれながら本当にもう疲れた眼(まなこ)
   花山周子『林立』

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夕日を見るのは眼だが、その夕日と眼とがいったいとなってどろん、とずり落ちてしまいそうな、そういう疲労感が1首全体にただよっている。初句の「生臭く」というのが、わたし自身の体感としては身に覚えがなく、でも、「生臭い」そのものは知っているので、それをたよりに「生臭く」「あかい」「夕日」というものを想像してみる。それが垂れている。垂れていく。「夕日はたれながら」の「は」と「たれながら」とを蝶番のようにして「本当にもう疲れた眼」へ展開していく。「は」と「ながら」が「夕日=眼」という見立てを引き寄せるが、はっきりと見立てがある、というよりはどこか混然としたところがあって、それは1首のながれるような作りがそうおもわせるのかもしれない。

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎『温泉』ご購入はこちらから。現代短歌社のオンラインショップです。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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