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ネットプリント「年のをはりに」

ネットプリント「年のをはりに」を配信します。

2017年、2018年の未発表連作を7つ(85首)掲載しています。

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セブンイレブンでプリントできます。

設定は、

【プリント予約番号】X6GZE77H
【用紙サイズ】A3
【2枚に1枚】する
【両面】する

です。1部40円です。年末年始のおともにどうぞ。

【有効期限】2019/01/04 23:59

です。よろしくお願いします。
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最も心に残ったこの連作2018(4)

(4)30首以上の連作

心に残ったこの連作2018であげた18の候補から、今年、最もこころに残った連作5篇を、以下のように選びました。

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「クリームパンと担々麺」50首(鯨井可菜子・田村元、現代短歌4)
「毛とニキビと」35首(菊竹胡乃美、九大短歌8)
「光る夕立」30首(吉川宏志、短歌研究10)
「青みなづき」33首(日高堯子、短歌往来9)
「コーポみさき」50首(山階基、短歌11)

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「クリームパンと担々麺」50首(鯨井可菜子・田村元、現代短歌4)
二人五十首、という形式のなかで、とくに印象に残りました。日記というスタイルのうえに五十首がのっていたからかもしれませんが、二人が影響しあいながら交互にうたをやりとりするだけとはちがう展開があって、刺激になりました。ラリーではなく、同じチームという感じがあったからかもしれません。この形式の可能性、この形式でまだまだいろんなことができそうだ、ということをおもわせてくれた一連でもあります。


「毛とニキビと」35首(菊竹胡乃美、九大短歌8)
はじめて読んだときの衝撃が、いまのいままでずっと残っていて、その感情に圧されるように選びました。文体や、話題や、自分の差し出し方に特徴があって、剝き出しの迫力が、最後まで一連を読み通させる作品でした。一方で、どこかコミカルであり、フィクションのおもしろさと、ノンフィクションの生な感じとが入り混じるような、不思議な読後感が今でもあります。初期の松本大洋のことを、すこし、思い出しました。


「光る夕立」30首(吉川宏志、短歌研究10)
平成じぶん歌、という企画の中から1つ選びました。1首1年で平成の30年間を振り返るというもので(厳密にそうでない、あるいはそもそもそういうスタイルをとらない作品もありました)、吉川さんの得意とする一首で勝負する、という歌柄が活きた連作だったとおもいます。出来事だけでなく、そこにはりつく感情や、他者へ向ける視線と同じくらい厳しい自分への視線が、濃厚にえがかれています。


「青みなづき」33首(日高堯子、短歌往来9)
とくに構成面で、もっとも印象に残った作品です。必ずしもゆるやかに話題をつないでなめらかに展開するのではなく、大きく4部に分けて、そのなかでひとつひとつの場面を詠んでいく、というスタイルが特徴です。たとえば1首、1首がずらっと(たとえば)50並ぶ、というスタイルも連作と呼べるのか、連作としてどうなのか、という連作における配列のことや、展開のことを考えさせられました。連作の密度、ということもおもいます。


「コーポみさき」50首(山階基、短歌11)
「長い合宿」につづく、ルームシェアを題材にした一連で、「長い合宿」のドライブ感とはちがう、ひとつひとつ丁寧にやすりがかけられた木工細工のようなうたが、ずらっと50首ならんだ、やわらかな一連でした。山階さんも、吉川さんと同じように、1首の独立性ということを大事にしているように思いますが、その1首1首が飛び石のようにさまざま配置され、緩急ありながら渡っていくうちに景色をかえながら対岸にたどりついたような、そういう読後感をいだきました。

作品リスト(短歌)2013~2018

【2018年】
・「はしご」8首――あるきだす言葉たち(朝日新聞2018.12.12)
・「寿司その他」24首――連載第5回(『現代短歌』11月号、現代短歌社)
・歌集『温泉』(現代短歌社、2018.8)
・「Sunny」14首――新鋭14首+同時W鑑賞プラス1(『短歌』8月号、角川文化振興財団)
・「山桜」24首――連載第4回(『現代短歌』8月号、現代短歌社)
・「カレーライス」15首(meal、2018.6)
・「焼肉」55首(meal、2018.6)
・「にぎはひ」8首(福岡歌会(仮)アンソロジーⅥ、2018.6)
・「歌の花束」に1首寄稿(Sister On a Water、シスオン、2018.6)
・「隣人」24首――連載第3回(『現代短歌』5月号、現代短歌社)
・「かがやける未来ばかりが見えてゐた」24首――連載第2回(『現代短歌』2月号、現代短歌社)
・お散歩のうた1首――特集 現代歌人百人一首(『短歌研究』1月号、短歌研究社)
・編集部選「犬のうた 一〇一首」に1首掲載(『現代短歌』1月号、現代短歌社)


【2017年】
・共作「腸内環境」30首(渡辺松男さんの10首に山下が20首を加えました)(『tanqua franca』、2017.11)
・一人暮らしの4首(『みづもと』、2017.11)
・『温泉』(300首)20首抄――第5回現代短歌社賞次席(『現代短歌』12月号、現代短歌社)
・「右目の視力」24首――連載第1回(『現代短歌』11月号、現代短歌社)
・「梨と水」7首+エッセイ(『現代短歌』10月号、現代短歌社)
・「わたしは歩く」7首(『現代短歌』8月号、現代短歌社)
・「散髪の時間」12首(『現代短歌新聞』7月号、現代短歌社)
・「大きな家」8首(福岡歌会(仮)アンソロジーV、2017.6)
・絵画のための題詠5首――特集「短歌と絵画が出会う時」(『ARTing』第12号、花書院、2017.6)
・「さよならだけが人生だ」3首――特集「競詠 平成生まれの歌人たち」(『梧葉』VoL.53、梧葉出版、2017.4)
・「六地蔵」7首――「いま読みたい旧かな歌人」(『はつか』、2017.1)
・「かたはらにきみを」7首――特集「沖縄を詠む」(『現代短歌』2月号、現代短歌社)
・中本吉昭選「全国秀歌集(福岡県)」に1首掲載(『現代短歌』1月号、現代短歌社)


【2016年】
・『湯』(300首)20首抄――第4回現代短歌社賞次席(『現代短歌』12月号、現代短歌社)
・「温泉」50首(『九大短歌』第四号、2016.10)
・第59回短歌研究新人賞佳作5首掲載(『短歌研究』9月号、短歌研究社)
・「鰊」10首(『かぜまち』、ここのつ歌会、2016.6)
・「湯」8首(福岡歌会(仮)アンソロジーIV、2016.6)
・「親の落としもの」7首――特集「若き才能を感じる歌人たち」(『歌壇』5月号、本阿弥書店)
・「墓とラムネ」30首――第27回歌壇賞候補作品(『歌壇』2月号、本阿弥書店)
・恒成美代子選「全国秀歌集(福岡県)」に1首掲載(『現代短歌』1月号、現代短歌社)


【2015年】
・「空を見てゐる」18首(合同歌集『連嶺』、やまなみ短歌会、2015.12)
・染野太朗選「今年の十首」に1首掲載(『歌壇』12月号、本阿弥書店)
・「交流」30首 (『九大短歌』第三号、2015.10)
・「のぼろ」vol.10「山を詠む」出詠3首 (西日本新聞社、2015.9)
・「銀鱈の皮」30首 (『九大短歌』第二号、2015.6)
・「まだ風の冷たい五月二日に」8首 (福岡歌会(仮)アンソロジーIII、2015.6)
・「みるくぱん」20首――第39回芥火賞受賞作品 (『やまなみ』1月号)


【2014年】
・「マクドナルドでしりとりを」5首 (『九大短歌』創刊号、2014.6)
・「But, I don't have a car now.」10首 (『九大短歌』創刊号、2014.6)
・「ゆつくり歩いてもみた」8首 (福岡歌会(仮)アンソロジーII、2014.6)
・「歳月」7首 (『歌壇』6月号、本阿弥書店)
・「傘は差さずに街を歩いた」7首 (『NHK短歌』3月号、NHK出版)


【2013年】
・「CAMPARIの背中」8首 (福岡歌会(仮)アンソロジー、2013.6)
・「水飲み場」10首 (『現代短歌新聞』4月号、現代短歌社)

心に残ったこの連作2018

5つの総合誌を中心に、この1年間で印象深かった連作、繰り返し読みたいとおもった連作、いまだによくわかっていない連作などなど、心に残った連作を列挙します。好き嫌いや現在の興味関心に左右されている面がおおいにあると思いますので、あらかじめご了承ください。また、総合誌以外について、たとえば結社誌、そのほかの短歌会の機関誌、また新聞等については、読み得たもの読み得なかったもの、いずれもほとんど対象にしていません。こちらもあらかじめご了承ください(なんか言い訳ばっかりになってしまいましたが……)。

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(1)10首未満の連作
「解答はじめ。」7首(屋良健一郎、現代短歌8)
「最後の醤油」7首(佐伯裕子、現代短歌5)
「紫蘇の実かけて」7首(米川千嘉子、現代短歌5)
「ふるさとに喰ふ」7首(黒瀬珂瀾、現代短歌5)
「宿題」7首(穂村弘、短歌研究5)
「顔に出る」7首(大松達知、短歌研究5)
「鳥の家」7首(奥田亡羊、短歌研究5)
「春雨の中」7首(小池光、短歌研究5)
「城跡にて」7首(三枝浩樹、短歌研究5)
「どんたく見に行く」5首(野田光介、歌壇7)
「青い葉」6首(花山周子、短歌往来7)
「点滴の夜」7首(高島裕、短歌5)
「舞う夏蝶」7首(前川明人、歌壇8)
「合歓の花こんなに咲いて」8首(秋山律子、短歌往来9)
「今年」7首(伊舎堂仁、歌壇12)

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(2)10首以上20首未満の連作
「中央区」15首(小池光、短歌研究1)
「豆電球」10首(小島なお、短歌研究2)
「光が丘に星降る午後を」15首(黒瀬珂瀾、短歌研究4)
「退部」12首(千葉聡、歌壇9)
「自死と不死の等しき部屋」13首(石井僚一、現代短歌5)
「Sit in the sun」15首(阿波野巧也、個人誌)
「よじのぼれそう」12首(斉藤斎藤、短歌9)
「甑島」12首(染野太朗、短歌9)
「義祖父の葬儀」12首(小島一記、歌壇11)
「冬の花束」13首(岩尾淳子、現代短歌2)
「ライオンと子羊」13首(清水正人、短歌往来6)
「姪の浜行き」12首(大井学、歌壇6)
「思案橋ブルース」12首(染野太朗、歌壇7)
「煉瓦の家」12首(渡辺幸一、短歌往来9)
「自販機」12首(中根誠、歌壇12)
「12首もある」12首(永井祐、歌壇12)
「ひかり」13首(中山洋祐、短歌往来8)
「泣かねばならぬ」13首(富田睦子、短歌往来8)
「三徳ビルの箱」12首(花山周子、短歌11)

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(3)20首以上30首未満の連作
「滅多にみないテレビから」28首(渡辺松男、短歌2)
「別れ」20首(馬場あき子、短歌2)
「グリーンフィールド」20首(花山多佳子、歌壇3)
「はちみつクレヨン」24首(山本夏子、現代短歌1)
「こわれた」28首(大島史洋、短歌3)
「Place to be」28首(川野里子、短歌4)
「秋のこと、冬のこと」24首(内山晶太、現代短歌3)
「碍子」28首(小池光、短歌8)
「ぜんぶがちがふ」20首(渡辺松男、歌壇9)
「やまねこ」24首(大松達知、COCOON9)
「そこが海ではないとしても」24首(工藤玲音、COCOON9)
「こどものぬりえ」24首(山本夏子、現代短歌10)
「熱砂」24首(大森静佳、現代短歌10)
「それぞれの夏」28首(香川ヒサ、短歌10)
「昼の闇」20首(秋葉四郎、歌壇12)
「胡麻を剝ぐ」24首(内山晶太、現代短歌12)
「さわぐ胸、くさむらの夢」24首(加藤英彦、現代短歌12)

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(4)30首以上の連作
「イサファガス」33首(大松達知、短歌往来2)
「ほくろ」30首(小池光、短歌研究7)
「富士の見えるあたり」30首(松村正直、短歌研究8)
「クリームパンと担々麺」50首(鯨井可菜子・田村元、現代短歌4)
「まだ旅の途中」30首(田中槐、短歌研究7)
「三月生まれ」30首(池田はるみ、短歌研究6)
「毛とニキビと」35首(菊竹胡乃美、九大短歌8)
「〈気付きの〉奥村短歌は成りぬ」30首(奥村晃作、短歌研究9)
「チョークの匂ひ」30首(松本典子、短歌研究9)
「光る夕立」30首(吉川宏志、短歌研究10)
「#メンヘラ・フォーエバー」30首(野口あや子、短歌研究10)
「青みなづき」33首(日高堯子、短歌往来9)
「しゅうさくのためのしゅうさく」33首(斉藤斎藤、短歌往来9)
「コーポみさき」50首(山階基、短歌11)
「体内飛行8 予言」30首(石川美南、短歌研究11)
「三つの昔のクロニクル」30首(島田修三、短歌研究11)
「三十年間」30首(花山周子、短歌研究11)
「曇天」30首(花山多佳子、短歌研究11)

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列挙した作品をこれから読み返して、(1)〜(4)それぞれから5篇ずつ、もっとも(?)心に残った連作2018を選びたいと思います(そのさい、ここには挙げていないものを候補に加えることもあります)。

連作覚書2018(その3)

あともう少しで、ひととおり読み終えられそうですが、その3です。(その2は、こちらから読むことができます。)

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11月29日(木)

「短歌往来」9月号から。「青みなづき」33首(日高堯子)一連は、吉野→西行→友→母・父というふうに大きく4つのブロックに分けられる。ゆるやかな話題の展開というよりも、ひとつのものをじっくり見つめて、次へ移るという構成だ。〈山棲みのここで死ねるの? 野葡萄のすつぱいジュース美しかれど〉は「山棲みをはじめた友」をうたって率直な問いをぶつける。おいしい、ではなく、美しい、というところに問いのニュアンスがこもる。そして母のうたへ。〈床に落ちた母を起こせず起こせぬまま並んで聞きぬ夕ほととぎす〉さらに父のうたへ。〈六枚の薄翅(うすはね)つけたわが父が夜明けさびしい抱擁くれぬ〉。

「しゅうさくのためのしゅうさく」33首(斉藤斎藤)は、やはり視線を共有しているような感覚がある。わたしの中に視点人物(?)が入ってきてわたしと入れ替わり(あるいは重なり合い)、視線の主導権(?)を奪われるというか、一緒に視ることを余儀なくさせられるというか。表面的なことをメモしておくと、全首ひらがな書き、結句ちかくまではそのまま読み通せても結句で少し向きがかわる。〈かわにしたらふねがながれてふねにしたらそらがながれてゆくのだろうね〉は相対のことを言っていて、好きなうた。

「煉瓦の家」12首(渡辺幸一)は特集「現代の衣食住を詠む」に寄せられた連作で、イギリスでの暮らしのことが書かれている。お題通り、衣・食・住のうたが鏤められている。エッセイから先に読んだのが良かったのかもしれない。「合歓の花こんなに咲いて」8首(秋山律子)も印象的だった。〈書きかけの手帳に明日の時間あり合歓の花にじむように明日あり〉。

「歌壇」12月号も、気になる連作が多かった。「今年」7首(伊舎堂仁)は、ひとつの話題で構成されているのだが、それがちょうど容量におさまっている感じがある。おちょくられているというか、あおられているというか、緊張しつつ読んだ。「自販機」12首(中根誠)は、前6首が自販機のうた、あいだにひとつ転換のうたがあって、後5首が秋のうた・妻のうた、という構成。自販機へのこだわりをおもしろく読みながら、〈傾ける昭和の店に自販機がポストに替はり置かるるはよし〉〈部屋の灯りつけて鞄に温む茶を探り出すときひとりの秋ぞ〉というふうに転換していくところに感じ入った。

「12首もある」12首(永井祐)は、はじめ3首でぐっと連作世界に引き込まれて、一息に読まされた。中盤のうたでは〈セロテープカッター付きのやつを買う 生きてることで盛り上がりたい〉や〈たばこ吸おうと思って寄り道したけれど渋谷の底に着くと落ちつく〉にひかれた。けれども、これらのうたに対して、どこがどういいかを言おうとすると、すぐにはことばが出てこない。「昼の闇」20首(秋葉四郎)は、硬質の韻律が音読してここちよい。〈地下街の酒店雪郷(ゆきぐに)倒産か昼の闇(やみ)濃きところを通る〉が表題歌。昼の闇とは地下の暗さなのだが、そこに「酒店」と「雪郷」とがことばの上でも差し込まれることによって、ある対比を感じることができる。四句から五句にかけての「濃き/ところ」というところもうれしい。手触りや立ち姿や空気に統一感のある一連20首で、これが50首くらい長くなってくると、逆効果かもしれないが、20首という長さにおいては、静かに展開し、ゆっくり味わうことができた。

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12月08日(土)

「短歌往来」8月号、「ひかり」13首(中山洋祐)がすごかった。〈駅の端から雨は吹き込む〉のような措辞のこまやかさ、語の斡旋の独特にもひかれつつ、それが視線・眼差しとからみあいながら一連の作品世界をつくっているところに注目した。〈しんだひとこれからふかくしぬように寺院の入り口ぼんやり開いて〉。挽歌の一連であるけれど、そしてそれは特定の誰かに向けられているのだけれど、それ以上のものへの視線・眼差しがあって、もうひとつ踏み込んだところで突きつけられて、迫力があった。「泣かねばならぬ」13首(富田睦子)も、迫力の一連。どこか薄ら寒く、不気味で、暗い感じがただよう。きっぱりとした断定もこわい。

角川「短歌」11月号は、「三徳ビルの箱」12首(花山周子)「コーポみさき」50首(山階基)という、(もちろん偶然だが)住まうところの建物の名前をタイトルにもつ2作品に思うところがあった。花山作品は1首目に〈部屋を形作る木の直線に安定する 秋 簡潔な三徳ビルの箱〉とあって、まず簡潔に、タイトルの種明かしがされる。季節のうつりかわりのなかに、母と子の交わりが描かれる。その舞台であるところの「三徳ビルの箱」だ。「簡潔な」「箱」という言い方が、そこになにか、簡潔ならざるものが展開されるような予感をもたらす。実際、連作の後半、ぐいぐいたかまっていく。山階作品のほうは、16首目に〈金属の文字がはずれたあとにあるコーポみさきのかたちの日焼け〉とあって、これも建物の造り・外見・質感(そしてそこにこもる歳月、それは花山作品のほうにも言える)のことがうたわれている。人がだれかと暮らす、生活をともにするということ、そこにはひとりの人間同士がいるということ、そのための場所があること。単純でないこととおもう。暮らしの細部と、それを感じ取る五感と、それを感じ取らせる感情とが、ひとつ連作のなかに詰まっている、そんな2作品である。

「現代短歌」12月号、連載作品「胡麻を剝ぐ」24首(内山晶太)、なんども息を詰まらせながら読んだ。〈エスカレーター息継ぎのなき息のなかをゆくごとしただ凭れていたり〉〈せんべいに食い込む胡麻を剝ぎてゆく秋の指、まもなく冬の指〉など。はー。おなじく連載作品から、「さわぐ胸、くさむらの夢」24首(加藤英彦)も気になった。1首目〈ながく忘れていし海のおと岩はだを叩いて記憶の淵よりかえる〉でもう、作品世界に引きずり込まれる。回想の暗示であり、「岩はだを叩いて」のディテールが縁語として「淵」を引き寄せる。15首目〈岩陰からも突堤からもあらわれて舟虫は西陽を浴びてうごかぬ〉の「うごかぬ」の強さに息が詰まる。上の句で韻律とともに展開されるうごめくイメージが、結句で「うごかぬ」となる。時が止まってしまったかのような不気味さと、西陽の存在感とが、ただ残るばかりだ。連作を通して、現実と象徴とをおりまぜながら、作品世界が濃厚なものになっている。

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12月09日(日)

「短歌研究」11月号から4つ。「体内飛行8 予言」30首(石川美南)は、連載8回目。妊娠・出産をめぐる一連だ。身体の変化が、ことばや体感の変化をもたらす、ということがたとえば体重や筋肉の増減だけでもおこるとおもっているのだけれど、妊娠・出産においても、同じようなことがおこっているのかもしれない。「歌壇」の文章とも合わせて読んだ。

「平成じぶん歌」、「三つの昔のクロニクル」30首(島田修三)はとにかく楽しい。1首目の詞書に「平成元年 母いよいよファンキー」とあって、終始この調子で連作がすすむ。固有名詞盛りだくさん、毒というか批評というか旺盛で、読んでいてこちらまで勢いづいてくる。時事とはやや離れたところで〈大阪より帰りしせがれの部屋に流れ 美人、アリラン、ガムラン、ラザニア〉〈割れたLPの「A LONG VACATION」懐かしく大瀧詠一夢のやうに逝く〉〈嬉しきこと待つ表情に俺をおきて独り逝きにき嬉しきことあれよ〉などにもひかれる。「三十年間」30首(花山周子)は、全体に1首1首が短歌という感じではなく、この題への対しかたのひとつを見るおもいに読んだ。おなじく「曇天」30首(花山多佳子)も、短歌なのか、とおもう部分がいくらかあって、この絶妙のシンクロは、とおもいつつ読んだ。内容の面でもかさなり合うところがあって、それはひとつ場面が立体的になるようなところがあってもちろんおもしろいのだが、それよりもなによりも、この対しかた、のところに注目させられる。

     *

(おわり)

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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