FC2ブログ

旧かなメモ

*まよったら終止形を考える。活用をとなえる。

・[動]むかふ(向かふ)、[名]むかう(向かう)
※向かふの連体形が名詞化したとして、向かふ、とするしかたもある。ここでは、向かひのウ音便化としての向かうをとる。

・[形]よわい(弱い)
・[動]すわる(座る) ※据わる
・[動]かわく(乾く、渇く)
・[動]ことわる(断る)、[名]ことはり(理)
※こと-割る

・[助動]よう、[名]やう(様)
※行つて見ようとおもふ/見やうによつては美しい
・[副][感]さう(然う) ※さういふ時には/さう、それですよ!
・[副]もう ※もう一度/もうちよつと

・[接][副]あるいは(或いは)

・[動]まじる(混じる) ※混ぜる、混ず
・[形]みじかい(短い)
・[名]はず(筈)
スポンサーサイト



なんかうたはできたけれど、いまいちしっくりこないときのための自戒

01 一首の核はなにか、一首に核があるか

02 説明になっていないか、描写になっているか、場面があるか

03 上から下まで一本通ったうたばかりになっていないか、句切れはいろいろあるか

04 動詞が多すぎないか、名詞化したほうがよい動詞はないか

05 一首の容量におさまる内容か、書き分けたほうが適切でないか

06 歌作のきっかけにとらわれていないか、うたいたいことや言いたいことはどうでもいい

07 歌作のきっかけから遠くはなれすぎていないか、うたいたいことはなんだったか

08 歌会に出したらどうなるか、一首評で言及されたらどうなるか

09 動詞はほんとうにそれでよいか、もっと近い動詞はないか

10 音読してみてとおりがよいか、つっかえるところはないか

11 音読してとおりがいいだけでぺらぺらになっていないか、そのとおりの良さは必要なものか

12 視覚のうたばかりではないか、嗅覚・味覚・触覚・聴覚からうたうべきことはないか

五七・五七・七

短歌は五・七・五・七・七の五句三十一音からなる。この「五句三十一音」ということに関しては、大きくふたつの立場があるようにおもう。

(1)五つの「句」からなる、ということを第一に考える立場
(2)五句はともかく、トータルで「三十一音」であることを守る立場

である。(1)については、たとえば上の句・下の句ということばがあるが、これは「五句」が

(a)「五七五」「七七」という、二つのまとまりからなるという立場

である。ほかに、

(b)「五七」「五七」「七」という、三つのまとまりからなるという立場

も考えられる。長歌は「五七」を三回以上くりかえし、最後に「七」を添える形をとる。この「三回以上」の部分が「長」に対応するならば、それを「二回」にして「短」をあてる、というのは自然なことのようにおもう。

そういったことは考えずに、

(c)「五」「七」「五」「七」「七」は対等であるとする立場

もあるだろう。わたしとしては、(1)(a)の立場でこれまでうたを作ってきたと、振り返ればおもうが、必ずしもそういうやり方ばかりではないということを、ときどき意識したいとおもって、これを書いている。また、読みにおいては、どの立場にたって読むのがよいか、というのは、必ずしも自分の立場からではないやり方でのぞむことがいい場面もあるようにおもう。

たとえば「句切れ」という概念は、どの立場で考えるかによって、いくらか違ったものに見えてきそうだ。

むろん

(3)「五句」も「三十一音」もさして重要視しない立場

もある。いまは「五七・五七・七」という考え方に興味がある。

『現代短歌』2019年1月号

巻頭作品は「亥(猪)のうた」、短歌7首とエッセイが載る。

イノシシの走れば濁る風のなか逃げきるという力なつかし
   佐伯裕子「迷える猪」
このまへのいのしし年より十二年はやも過ぎたりまたたきの間ぞ
   小池光「猪七つ」

走って「逃げきる」ということが、もうほとんどない。逃げきった安堵からか、力使い果たしてか、からだがかたくなって動けなくなるあの感覚を思い出す。またたく間とは言うが、「またたきの間」としてすこしちがった感触がうまれた。

エッセイは永田和宏「庭の猪」、谷岡亜紀「旅立ちの前夜の猪鍋」がおもしろい。

平成はクリアファイルの時代なり打ち重なりてしづかに曇る
   米川千嘉子「味はひ深き」

学校生活のいつの頃からか、A4の紙とクリアファイルが浸透し、あたりまえのものになっていった。下の句は、描写であり、時代への眼差しでもある。

     *

特集「心に残ったこの一首二〇一八」、島田修三、なみの亜子、宇都宮敦、永井祐の文章にひかれる。歌壇時評、土岐友浩「「コーポみさき」を読んで」があつい。丁寧に連作を読みほぐしつつ、結末でいっきにたかまる憤りが、問題意識をふかく突きつける。作品連載は山本夏子「きたきつね」がかわらず凄い。

     *

情念はきらいな言葉 ぬれぬれと眼球の飛びでた蛾のようで
力をぬけば風の重さもわかるからしばらく肩に風をあつめて
傷つけてしまったことに動悸して秋だろう歯を何度も磨く
   大森静佳「沸点まで」

小池光「世界を揺るがした十日間」

小池光さんが、2005年から2010年にかけてブログを書いていたことを、堂園さんのツイートで知った。「世界を揺るがした十日間」というタイトルで、ブログより先にこちら(Wikipediaの記事)がヒットしたのだが、このあたりのセンスというかなんというか、いかにも小池さんらしい。とは言え、なんだかまだ信じられないような気持ちもいくぶんあって、ときどき読んでみようとおもうのでここに記す。なかなかぎょっとするような文体で、これはむかしの総合誌や短歌人に書いた文章とも読み比べてみたい。

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎『温泉』ご購入はこちらから。現代短歌社のオンラインショップです。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR