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なんかうたはできたけれど、いまいちしっくりこないときのための自戒

1 一首の核はなにか、一首に核があるか

2 説明になっていないか、描写になっているか、場面があるか

3 上から下まで一本通ったうたばかりになっていないか、句切れはいろいろあるか

4 動詞が多すぎないか、名詞化したほうがよい動詞はないか

5 一首の容量におさまる内容か、書き分けたほうが適切でないか
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『現代短歌』2019年1月号

巻頭作品は「亥(猪)のうた」、短歌7首とエッセイが載る。

イノシシの走れば濁る風のなか逃げきるという力なつかし
   佐伯裕子「迷える猪」
このまへのいのしし年より十二年はやも過ぎたりまたたきの間ぞ
   小池光「猪七つ」

走って「逃げきる」ということが、もうほとんどない。逃げきった安堵からか、力使い果たしてか、からだがかたくなって動けなくなるあの感覚を思い出す。またたく間とは言うが、「またたきの間」としてすこしちがった感触がうまれた。

エッセイは永田和宏「庭の猪」、谷岡亜紀「旅立ちの前夜の猪鍋」がおもしろい。

平成はクリアファイルの時代なり打ち重なりてしづかに曇る
   米川千嘉子「味はひ深き」

学校生活のいつの頃からか、A4の紙とクリアファイルが浸透し、あたりまえのものになっていった。下の句は、描写であり、時代への眼差しでもある。

     *

特集「心に残ったこの一首二〇一八」、島田修三、なみの亜子、宇都宮敦、永井祐の文章にひかれる。歌壇時評、土岐友浩「「コーポみさき」を読んで」があつい。丁寧に連作を読みほぐしつつ、結末でいっきにたかまる憤りが、問題意識をふかく突きつける。作品連載は山本夏子「きたきつね」がかわらず凄い。

     *

情念はきらいな言葉 ぬれぬれと眼球の飛びでた蛾のようで
力をぬけば風の重さもわかるからしばらく肩に風をあつめて
傷つけてしまったことに動悸して秋だろう歯を何度も磨く
   大森静佳「沸点まで」

小池光「世界を揺るがした十日間」

小池光さんが、2005年から2010年にかけてブログを書いていたことを、堂園さんのツイートで知った。「世界を揺るがした十日間」というタイトルで、ブログより先にこちら(Wikipediaの記事)がヒットしたのだが、このあたりのセンスというかなんというか、いかにも小池さんらしい。とは言え、なんだかまだ信じられないような気持ちもいくぶんあって、ときどき読んでみようとおもうのでここに記す。なかなかぎょっとするような文体で、これはむかしの総合誌や短歌人に書いた文章とも読み比べてみたい。

本について

小学生になるかならないかくらいのころ、母に買ってもらった『ぼくらのピカピカ星』(泉啓子、佼成出版社)をくりかえし読んでいたのが、読書の記憶としては最初のものになる。どんな話だったか全く覚えていないし、とくべつ本が好きだったわけでもないが、ほかにやることもなく、くりかえし読んだのだとおもう。

そのころ市内でもはずれの小さな集落に住んでいたので、母が何かの用事でまちへ出るときに、小学館の学習雑誌『小学一年生』を買ってきてもらっていた。そのうち別の市に引っ越すのだが、以降は自分で買うようになった。むろん毎月ではないので、まちへ出たときのたのしみにはちがいなかった。みんな、しょうがっかん、とその雑誌のことを呼んでいた。

もうひとつ、これも時期は同じくらい、どういう経緯だったかおぼえていないが『エルマーのぼうけん』(ルース・スタイルス・ガネット[作]、渡辺茂男[訳]、ルース・クリスマン・ガネット[絵])もよく読んでいた。話のなかみは、やはり少しもおぼえていない。

     *

夏休みに読書感想文の宿題が出る。課題図書、自由図書の二冊。小学二年生から中学二年生まで毎年書いた。『ぺちゃんこスタンレー』(ジェフ・ブラウン[作]、トミー・ウンゲラー[絵]、さくまゆみこ[訳]、あすなろ書房)ただ一冊、タイトルをおぼえている。しかしこれは友人が読んで書いたのであって、その夏わたしは別の本を読んで書いたはずなのだが。高学年になると伝記を読むようになった。野口英世、伊能忠敬、宮沢賢治を読んで書いた。ほかにもあったはずだが覚えていない。

『ハリー・ポッターと賢者の石』(J・K・ローリング、松岡佑子[訳]、 静山社)の発行が1999年12月1日。発売されてすぐ読んだようにおもっていたが、このとき9歳(小学三年生)だから記憶ちがいだろう。夢中になって読んだ。なぜか表紙の絵を真似して書いたりもした。ちょうど2年後、映画が公開される。小学5年生の冬休み、同じ年に公開の「千と千尋の神隠し」と迷いに迷ってはじめてみた映画がこの作品だった。パンフレットもポストカードも買った。

     *

中学生、高校生のころ、本はほとんど読んでいないとおもう。学校では朝読書の時間というものがあって、そのためになにか読んでいたのだろうが、ほとんどは宿題やったり寝たりして過ごしていた。大学生になってもそれは変わらず、今こうして少しは本を読むようになったのは2011年の元日からである。とくに理由もなく、決意して読み始めた。

猫のうた

猫がかわいい、というのは、まさにそうおもっている人と(比べようもないが)比べると、まさにはそうおもっていない。けれども、そうおもう瞬間はある。また、うたのなかの猫は往々にしてかわいい。

八月の窓辺でニャンと鳴くことあり君にも思ひ出がありますか
   小島ゆかり『さくら』
君は君で切ないことがあるだらうわたしの足に尻尾を載せて
   同『純白光』

飼い猫だろう。「君」という呼びかけに、おのずと距離感がにじむ。2首は対称的な作りになっていて、

 八月の窓辺でニャンと鳴くことあり→君にも思ひ出がありますか
 君は君で切ないことがあるだらう←わたしの足に尻尾を載せて

という具合に、いずれも「猫の様子」とそれに対する「呼びかけ」で出来ている。猫には「思ひ出」や「切ないこと」を思わせる仕草があるのだろう。

新幹線から見えたネコ 新幹線からでもかわいい たいしたもんだな
   宇都宮敦『ピクニック』

まちで猫を見かけることがある。夜道で急に姿をあらわしてぎょっとすることがある。このうたは、「新幹線から見えたネコ」。手に触れて愛でる距離からはずいぶん遠い。さーっと過ぎ去ってしまう光景の、遠くに一点のネコ。「たいしたもんだな」とおもう。

(たま)といふ凄き名前をもつてゐるやばい奴だぜ猫つていふは
   藪内亮輔『海蛇と珊瑚』

もうひとつ抽象的に「猫つていふ」もの全般をうたう。犬の「ポチ」、猫の「タマ」というのは、実際にそういう名前のついた犬や猫を見かけることがないくらいには、〈普通の〉名前である。その「タマ」を「魂」と見透かし、「凄き名前」と呼ぶ。その眼力、もの凄い。

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。2018年、『温泉』(現代短歌社)を刊行。「やまなみ」所属。
▶︎『温泉』ご購入はこちらから。現代短歌社のオンラインショップです。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はs.ohsamay@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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