5月27日

   久しぶりに熊本へ来た
大東亜戦争出征記念献木の石碑ありふとき公孫樹のふたつのあひに

(ち)さき店ひしめく路地へ折れたれば緑蔭深し夏は来向かふ

   テレビで日本ダービーをやつてゐる
はつなつの路のおもてに届かむと尾をゆらしつつ馬の小走り

しなやかな脚のうごきに歩みゐる馬に見惚れて解説もきく

競走馬にディープインパクトありオルフェーヴルありキングカメハメハあり皆走る

   夜は飲みながら歌会
生ビール飲みほしたれば中ジョッキのうちがはに泡の輪はのこりたり

やき鳥の串は竹串たべをへてあぶらひかりぬ肉のあぶらが

水槽に烏賊のわうらい見てをればひれのうごきのたゆまぬ哀し

興奮をしたるさいごの一匹が網にとられてしづまるあはれ
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続・歌集続々

きのう、おとといくらいから風邪で弱っている。と言っても、熱はさほどでもなく、早めに病院に行ったのがよかったのか、これ以上ひどくはならなさそうである。長い休みの前になると体調をくずす、というのがもう何度か続いているのだが、どういうことだろう。気がゆるむのかもしれない。

     *

つい先日「歌集続々」ということで、近刊の歌集についていろいろ追いかけていたのだが、ひとつ大事な歌集を見落としていた。田口綾子さんの第一歌集である。タイトルは『かざぐるま』。「冬の火」で短歌研究新人賞をとってから10年とのこと。いまからすごく楽しみだ。

歌集続々

歌集が次々に刊行されていて、なにもかもが追いつかない。

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小佐野彈さんの第1歌集『メタリック』の情報をゆうべ知った。5/21発売、野口あや子さんと水原紫苑さんが解説を書いているとのこと。Amazonの紹介ページには

「『メタリック』、凄まじい迫力で向かって来る歌集でした。 解説も覚悟して書きました」──解説・水原紫苑

とある。受賞作、受賞第1作、あるいは角川「短歌」での連作を読んでいるだけだが、この「迫力」という評言はわたしのなかには湧いてこなかった。どんな歌集になっているか、どんな歌があるのか。小佐野さんの歌についてはいろんな評者が長く批評を繰り返していて、それもうっすらとしか追っていないので、どこかで手をつけなくてはなあと思う。

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岩田正さんの歌集『柿生坂』は5/25発売らしい。遺歌集ということになるだろう。岩田さんの作品は歌集単位では読んだことがないので、これを機に少しずつ読んでいきたいなと思う。角川「短歌」追悼号では、馬場さんの挽歌一連に厚みと迫力を感じた。一方で『思川の岸辺』(小池光)のような構成にも惹かれる。何が起こったかではなく、そのことによって〈現在〉の〈私〉がどのように感じ、何をして、どういう存在の仕方をしているのかを述べる。そのことによって翻って「何が起こったか」が想起される。そういう作りの歌集であった。話をもとに戻すと、染野さん選で岩田さんの歌をまとめて読めたのもありがたかった。ユーモアとはなにか、ということも思う。

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新鋭短歌シリーズは第4期第一弾の3冊が刊行された。第3期までで既に36冊が同シリーズから歌集が出ている。第4期が終われば48冊。この数のことを思う。今回の3冊は初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』、ユキノ進『冒険者たち』、千原こはぎ『ちるとしふと』である。初谷さんのことは去年Twitterで知って、いくつか歌を読みながら唸ったことを思い出す。歌集として1冊にまとまったらどんな姿になるだろうか。ユキノさんは大学の先輩でもある。仕事の歌、ということで言えば堀合昇平さんの『提案前夜』と重なる部分があるだろう。しかし、そこにユキノさん独特の別の世界が織り合わされるはずで、その部分を楽しみにしている。千原さんは完全にはじめまして。プロフィールには「2010年7月からTwitter上での作歌を開始。「短歌なzineうたつかい」編集部、「鳥歌会」主催」とある。どんな歌が並んでいるのだろうか。

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穂村弘『水中翼船炎上中』は5/23発売。17年ぶりの歌集という。目次を見る限りでは知っている歌のほうが多そうではあるが、どんな姿になるのかは想像できていない。穂村さんのことだから、何か仕掛けがあるのだろうけれど。「tanqua franca」での寺井さんとの対談も、穂村さんのいろんな部分が引き出されていて面白かった。作家が作品以外のところで何か話したり書いたりしたことを、そのまま作品の読解や鑑賞に結びつけるのには慎重でいたいが、そういう読み方をすることで見えてしまうものもある。そのあたりも楽しみである。「短歌研究」の作品季評での発言なども読み返しておきたい。

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現代歌人シリーズからもぞくぞく歌集が出ている。雪舟えま『はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで』が出て、加藤治郎『confusion』は5/1発売、大森静佳『カミーユ』は5/18発売とのこと。雪舟さんは『たんぽるぽる』を読んでいる。加藤さんは『噴水塔』『しんきろう』『雨の日の回顧展』までしか読んでいない。初期作品に全然触れていないことになる。アンソロジー等で知っている歌はあるが、歌集のなか、連作のなかにあるとちがう立ち姿をしているものである。どこかで読む機会を作らなくてはなと思う。大森さんの第1歌集『てのひらを燃やす』はもう手に入らなくなってしまった。

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山川藍さんの『いらっしゃい』が大きく展開され、また話題にもなっている。まひる野の方である。「履歴書の写真がどう見ても菩薩いちど手を合わせて封筒へ」という歌をあちこちで目にしていて、「どう見ても菩薩」という把握から「いちど手を合わせて」へまでいたるキャラクターや歌の作りにひとつの特徴があるのだろう。花山周子さんを思ったが、ひとつの歌から何もかもが言えるわけではないので、なにはともあれ歌集を読むところからだ。

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今年は他に辻聡之さんの第1歌集も出ると聞く。石川美南さんの歌集も出るとか出ないとか。他にも毎月のように歌集は出ていて、そのすべてを読もうと思うと大変なことになる。どうしたものかなあ。情報を追えないとこもある。

時評について考えた日

時評をどう書いたものかと思っていろいろ見てまわっている。ネット上だと、「塔」「未来」「かりん」の時評が読めるようだ。

・塔:短歌時評
花山周子さんのあとを、いま濱松哲朗さんが書かれている。意見というか論点というかが明確で、それをすっきりと提示しているようにうつる。そのコンパクトな感じが文章にスリルのようなものを与えている。引用の手際良さというのか、スムーズにいろいろもってきたり要約したりしていて、文章を押し進めている。

・未来:時評
いま高島裕さんの文章が最新だ。そのまえは盛田志保子さんと服部真里子さんが交互に書いていらした。盛田さん、服部さんのを読んでいて思うのは、経験的考察、体験的考察とも言えるような箇所が少なからずあって、そのことによって何かに至ろうともしているし、また、読者を引き寄せてもいるなあということだ。

・かりん:時評
こちらは辻聡之さんが長いこと書かれている。(と思ったけれど、遡ってみると2017年5月号からだったので、この4月号でおしまいなのかもしれない。)歌のはなしが中心にありながらも、社会の状況をはじめとする様々な話題をからめてあって、しかもその接続がなめらかで、どういう塩梅なのだろうと思う。

     *

角川「短歌」の何年か前の大松達知さんの時評を読んでいる。率直、正直、丁寧と思う。意見と意見をかわすような健康な感じがある。情理を尽くして説明する、というのかなあ。決して過激というわけではないのだが、どきっとする場面もある。そういうところはひとつ文章の刺激となりながら読者を引っ張っていくのかもしれない。

     *

歌壇時評、作品時評、短歌時評、時評。それぞれちがいはあるのか、あるいは共通するところはあるのか。

     *

大井学さんは「歌をもとにして論じるのが、短歌の「時評」であり、「評論」だと思うので、一首も引いてない文章には常に態度を保留にします。具体的に何を言いたいのかわからないから。」とツイートしている。

また、加藤治郎さんは一連のツイートで時評について、

・その月に刊行された歌集・歌書・歌誌から優れた作品・評論は必ず取り上げる。取り上げた作品に共通した一つの視点を見つけ、そこから論じる。自分の狭い関心事で書かないことだ。
・月度の刊行物を読むという基本的な手順が欠落しているのではないか。
・時評は、直近の1ヶ月間の出来事について評するものです。まだ、だれも評価していないものを真っ先に書く行為です。
・まずは、読者を想定すること。新聞、総合誌、結社誌、同人誌、それぞれ書き方が違ってきます。短歌への理解度、年齢層など考慮すべきです。
・その月に刊行された歌集・歌書・歌誌から優れた作品・評論は必ず取り上げる。まず、これです。優れた作品は、必ず取り上げる。問題作でもよいです。つまり、主要な作品は、全て読む。これが第一歩です。

と言う。(引用にあたり、適宜、句読点を加えたり改行をのぞいたりしました。)

自分にどれだけできているだろうか、と省みながら読んだツイートだった。

     *

いま、総合誌としては「短歌研究」「短歌」「歌壇」「短歌往来」「現代短歌」の5誌を月々読んでいる。また、新聞では「現代短歌新聞」「うた新聞」の2紙を読んでいる。このほかにも「梧葉」はじめとする諸誌紙、結社誌、同人誌など様々な媒体があり、時評が載っている。毎月のように歌集・歌書が刊行され、ネットプリントが発行され、イベントがひらかれる。そのどれだけを追えるだろうか。追うべきなのだろうか。そこから何を掬い上げることができるだろうか。どんな視点を見いだせるだろうか。

     *

「塔」の座談会で、時評についての回があったことなども思い返した。

ふつう

映画「blank13」を観た。

色は鮮やかでなく、物語はまっすぐわかりやすくは進行せず、というかほとんど物語はなく、エピソードが並び、それが近く結びつき合い、遠くひびきあいながら、表情や空間だけが映し出されていたりして、邦画だな、邦画のなかでもうんと邦画だなあ、と思った。心地よかった。笑った。気づいたらエンドロールだった。

流れていた音楽は『家族の風景』(作詞・作曲:永積タカシ)。キッチンにはハイライトとウイスキーグラス……の繰り返しのなかで、作中の光景や色や時間や感情や表情やエピソードを思い返しながら、わが家の場合はマイルドセブンとアサヒスーパードライだな、などと思ったりした。

     *

「温泉」という50首からなる連作をつくったのは2016年の夏だった。あちこちでずいぶん話題にあげてもらい、お手紙もたくさんいただき、各紙誌で批評もしていただいた。思い出深い連作になった。

この夏をいかに過ごしてゐるならむ花火のひとつでも見てればいいが
ほむら立つ山に出湯のあることのあたりまへにはあらず家族は
   「温泉」(『九大短歌』第四号)

こんな歌が並んでいた。「雲仙」が舞台の連作は、これ以前にも「墓とラムネ」がある。

煙草吸ふ母のライターで火をつけてあれが最後の花火だつたな
母がしてゐたやうに花買ひ水を買ひ生家の墓へと坂をのぼりつ
   「墓とラムネ」(『歌壇』2016年2月号)

blankの間にもそれぞれの時間が流れ、生活があり、近づいたり離れたりする。ふつうのことだなあと思う。みんな変わっていてみんなふつうだなあ、と思う。

     *

寺井龍哉さんによく引いていただくなどして、自分でも意識するようになった歌がある。

うどんのつゆにくづれてしまふかき揚げのからつとかたしかつて家族は
   「親の落としもの」(『歌壇』2016年5月号)

制作時期で言えば、「温泉」と「墓とラムネ」のあいだにある歌だ。どこにでもあるような家族の風景……と『家族の風景』ではうたわれるけれど、「どこにでもあるような」とはどんな風景だろう。そんなことも思った。

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生まれ。「やまなみ」所属、野田光介に師事。16歳より作歌を開始。2016年、歌壇賞候補、現代短歌社賞次席、「温泉」50首が話題になる。2017年、現代短歌社賞次席。
▶︎現在、鳥ノ栖歌会に参加。ツイキャスユニット「いいぞもつとやれ」、企画同人誌「tanqua franca」で活動中。
▶︎初期作品を「空を見てゐる」18首にまとめています。その後の2014年〜2017年の作品は『湯』『温泉』にまとめています。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はkyushu.sc.m.yamasho@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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