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減量

キャラバンから戻ってきて、すぐに体重計を買った。旅の3日目くらいから体が重くなってきて、持ち合わせのシャツでサイズがきついものまで出てきたからだ。さすがにどうにかしなくてはなあと思う。それなのに、スーパーで穴子の天ぷらが出始めたら、連日嬉々として食べている。うーむ。

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野にすすき、葦原に葦、立ち飲みにサラリーマンが揺れてかがやく
痩せてゐるわれを思ひて目をつむる二日目の湯に肩を沈めて
   田村元「七九・七」(『歌壇』2018年2月号)

食べものがおいしい季節は酒もうまくなる。秋なのだ。1首目、立ち飲みにサラリーマン、というのを当然の風景としてえがく。野にすすきが揺れてかがやく頃、葦原に葦(!)がなびくように、立ち飲み屋にサラリーマンがひしめく。秋のひとところに自負と悲哀が立ち籠める。2首目の夢想にも、ひとつかなしさがある。それが湯の中であり、さらには「二日目の」湯であるからこそである。いずれの歌も、他人事とは思えない。

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ここのところ、毎日出勤前に一度、体重計に乗っている。それを手帳に記録している。並んだ数を眺めていると、それだけで何やら楽しい。体重の増減や、その理由について何事か言ってみたところで、何も言っていないのと変わらない。ただ眺めるばかりである。
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キャンプ

昨日から一泊二日のキャンプへ出かけていた。昼過ぎにロッジに着いて、4時間ほど歌会。それから火を起こし(ライターです)、薪を燃やしてカレーを作った。具材は持ち寄り、豆とツナと茄子とオクラとトマトスープがうっすらとけて。あと、牛すじ(だったかな)。やっぱり火はいいナ……。

夜は花火。担当のUさんが300発入りという大物を買ってきていたのを、手分けしてやっていく。そのうち100発ほどは線香花火であったらしい(そういうことか)。吹き出し花火というのもひとつだけ入っていた。しかしこれはあまりのあっけなさだった。幻の類いだと思う。それから朝まで飲んでいた。

酔っていたので覚えてないが翌朝の鞄になにかの骨を見つける
   ユキノ進(『うたらば』vol.17)

初二句の「酔っていたので覚えてない」という言い回しは、翌朝の言い訳の常套句という感じだ。ごく日常的にも使われるけれど、(犯罪など)何かやってしまった人が追及されて、ごまかすために言うようにも聞こえる。(実際、酔っていて覚えていない、ということはよくある。しかしそれは、酔っていた「ので」なのだろうか。おそらく違う。だからこそ、「酔っていたので覚えてない」というのは、苦しい言い訳の常套として納得される。)

さて何をやらかしたのか、と思いながら歌を読み進めると、「鞄になにかの骨を見つける」。たいしたことはない。安心する。しかし「なにかの骨」ってなんだろう。酒の肴の鯖の骨でも入っていたのだろうか。まさか。そういう「まさか」もありうるのが酔っぱらい。ただ、鯖であれば「なにかの骨」というよりは「さかなの骨」という感じになるだろうなあ、と思う。もう少し、ぱっと見ただけではわからないものを想定する。猫の骨? 人の骨? あるいは骨のような色形のなにか? いずれにしても、どうしてそんなものが……というものには違いない。考えを巡らせながら、この人もだんだん怖くなってきてるんじゃないかな、と思う。静かに、ゆっくり迫ってくる一首だ。

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今朝ロッジにもどって寝袋に入ったのが朝の4時くらいだったか。ものすごく寒かった。海辺ということがあるにせよ、もう秋なのだなあと思う。秋の風だ。日暮れも早い。それでもときどき入道雲が出ていることがあって、遠い日のように夏の時間を思い出す。

秋がくる 床屋の椅子に重大な秘密があってほしいと思う
   工藤吉生(『うたらば』vol.17)

季節の変わり目は曖昧だとしても、突然「秋だ!」と思えるような日がある。初句の「秋がくる」は、季節というもののそういう側面を思い出させる。季節の変わり目はなんとなく落ち着かない。「秋がくる」(!)という気持ちだけが、ざわざわと胸にある。それが、下の句の「あってほしいと思う」と期待する気持ちに結びつく。

床屋の椅子である。わたしがまだ体験したことのない機能があるかもしれない。確かに「重大な秘密」がありそうである。何だろうなあ。そわそわしてくる。

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二十歳くらいの頃(と言ってもつい5年くらい前のことだが)、酒を飲んではただただ泣いていた日々があった。一生懸命だったのだろう——と、人が泣いているのを見るようになってから思うようになった。これしかない、ここしかない、と思う気持ちが知らず知らずのうちに重圧となってのしかかり、それが溢れ出す、というような泣き方であった。近頃、そういうことがほとんどなくなった。いいことなのか、つまらぬことなのか。

守備力が1だけ上がる思い出に何度も助けられてきました
   宇野なずき(『うたらば』vol.20)

守備力が1だけあがる、というのはゲームの話だろうか。といってゲームに詳しいわけでもなければ、ほとんどやりもしないので、うっすら、そう思うのみである。しかしこの、「何度も助けられてきました」には深くうなずく。「1だけ」であることや、それが「思い出」であること。それにもかかわらず、なのである。ささやかであっても、確かなもの。遠くにあっても、それが今はなくても、かつて「あった」ということ。それが、「何度も」力になる。「守備力」の対義語は「攻撃力」になると思うのだが、この語のチョイスにもやられる。

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キャンプ場を出る前に、たまごうどんを食べる。温かいうどんを食べるのはいつぶりだろうか。たまごがひとつ落としてあってそれだけの、シンプルな形のうどんだ。あせらずに、ちょっとずつ食べる。何かが起きたようでもあったし、しかしだからと言って何かが変わるようなことでもない。一泊二日のキャンプはあっけなく終わってしまった。

放課後の吹奏楽部のスイングに歩調をさらわれながら帰ろう
   久永草太(『うたらば』vol.21)

スイング、ということばは、知ってはいるけれどほとんどよくわかっていないことばだった。けれども、「吹奏楽部のスイング」であるし、それに「歩調をさらわれながら」であるから、わからないけれど、わかる。ある種の旋律やリズムに歩調をさらわれる感じ。足をとられる、ということだけれど、「歩調」「さらわれながら」というのが、「吹奏楽部のスイング」をまこと見事にとらえているようで、だからこそ、一読して一首の気分にいたることができた。(その「スイング」だが、今かんたんに調べてみたけれど、やっぱり説明はできそうにない。)

Day8

キャラバン8日目。最終日。9時頃に近江八幡を出発。新大阪で新幹線のチケットを受け取って、天満橋へ。大阪文フリでいろいろ買う。重い。昼からは空き時間歌会に参加。夜は懇親会、二次会とあって12時前に宿に帰りつく。雨の一日だった。おしまい。

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今日作った歌は9首(8日間の合計714首)。明日は帰るだけ。

Day7

キャラバン7日目。10時に名古屋を出発。長浜、彦根を散策。長浜は黒壁というところ、昼はのっぺいうどんなるものを食す。午後は彦根城とその周囲を歩いてまわる。彦根城はアスレチックだった。台風の跡をいたるところに見る。ひこにゃんにも遭遇。夜中、卓球ボーリングビリヤードをして2時半ごろ就寝。

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今日作った歌は5首(累計705首)。明日は大阪。いよいよ最終日。

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Day6

キャラバン6日目。10時頃に熱海を出発。熱海は温泉には入らず、泊まっただけ。興津、浜松、豊橋と乗り換えて名古屋に着く。昼はビールと簡単なごはん。宿の周辺をぶらぶらする。夜は平和園で歌会。芋の水割りをいくらか。あとからあとから人が増えていくのが平和園。念願の天津飯を食べる。

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今日作った歌は96首(累計700首)。明日は彦根散策。のんびりしたい。

プロフィール

山下翔(やました・しょう)

Author:山下翔(やました・しょう)
▶︎1990年生。歌集に『温泉』(2018年)がある。「やまなみ」所属。
▶︎お問い合わせ、ご依頼はkyushu.sc.m.yamasho@gmail.com(@は半角に変えてください)までご連絡ください。

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